エウレカの憂鬱

音楽、映画、アニメに漫画、小説。好きなものを時折つらつら語ります。お暇なら見てよね。

【映画感想】『ダニー・ザ・ドッグ』イノセントなジェット・リーにメロメロ

リュックベッソンの作る映画は『レオン』しかり『グランブルー』しかり、イノセントな男の描写が秀逸である。

ベッソン作品は物語の辻褄よりも感情やロマンを優先する作風なので、合う人には合うが合わない人には合わない。

ちなみに私は好きな方だ。

 

本作は『少林寺』シリーズ、『ワンチャイ』シリーズでお馴染みのカンフースターのリーリンチェイ(ジェットリー)を主役に据えたアクションバイオレンスヒューマドラマである(なんじゃそら)。

ちなみに今回は作品の名義通り、リンチェイでなくジェットと呼びたい。

幼い頃、闇金融組織のボスに攫われ、人間ではなく敵を排除する感情のない闘犬として育てられたダニー(ジェット)が、とあるきっかけで出会った盲目の調律師のサム(モーガンフリーマン!)とその娘のビクトリアとの交流を経て人間へと生まれ変わるというストーリーである。

見所は二つ、ジェットのアクションと演技だろう。

 

さすがの息を飲むアクション

リンチェイ、いやジェット(ややこし!)といえば、子供の頃より北京の体育学校で武術を学び、武術の全国大会で5度も優勝したという伝説を持つ武道家としても有名で、ワンチャイのウォンフェイフォンなどで見られるような美しささえ感じられる凄まじいカンフーアクションが売りである。そのジェットが冒頭、いつもとは違うまさに闘犬のような野生の殺し合い、見ている方が痛々しくなるような暴力シーンを繰り広げる。素手で殴って人を殺すことってできるんだろうな、と実感するような映像である。ダニーの精神が成長するにつれ戦い方も理性的になっていくのも面白い。達人だからこそ演じられる変化で、これはジェットリーでなくては出来なかったのではないだろうか。

 

獣から人へと変わっていくダニー

感情が未発達の犬のような目、戦いの時の凶暴な殺気。それとはまるで対照的な初めて人と触れ合ったときの怯えた表情や、イノセントな笑顔。サムたちと触れ合って人間らしくなるにつれてその表情も豊かになっていく。この表情の演技が本当にすごい。

この頃のジェットはすでに40を超えており、私も視聴前あらすじだけ見たときには、ジェットがいくら童顔でももっと若手がやった方がいいのでは?と危惧していたものだが、なんのことはない。見ているうちに少年にしか見えなくなってくるので不思議である。

40過ぎの男性の形容詞としておかしいのは重々承知なのだが、サムやビクトリアの愛情を受け人間性を取り戻していくダニーがかわいいのだ。特にこれはジェット・リーがもともと持ち合わせているものでもあるが、少年のような無邪気な笑顔が実にかわいい。

まさに「守りたい、この笑顔」。

 

イノセントな演技は良い俳優ならできるだろうが、秘めた強さを兼ね備えることはなかなか出来ないだろう。暴力性とイノセントさの共存、そして、ジェットリーが備えるある種の品の良さ・人の良さが、ダニーというキャラクターをじつに魅力的に見せている。

女性ならば肉体的には強いけれども、心優しく繊細なダニーの笑顔を守ってあげたいと母性本能くすぐられまくり、男性ならば狂犬ダニーの強さに滾りまくりだろう。

 

まとめ

ストーリー的には冒頭で述べたとおり、筋よりロマンを優先しているので、辻褄が微妙なところやいろいろ弱い部分もあるが、細かいところが気にならなければ良い映画だと思う。

特にヒューマンドラマ部分は秀逸だし、美しいラストにはぐっとくる。リュックベッソンが好きな人、ファイトシーンが好きな人(カンフー好きの人はそれとはタイプの違うアクションなので物足りないかも)、そしてジェットリーが好きな人には文句なしに勧められるだろう。

見終わった時に優しい気持ちになり、ダニーが大好きになる、そんな素敵な映画である。

 

おすすめです。

 

ダニー・ザ・ドッグ(字幕版)

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【映画感想】『サスペリア(2018)』

友人に勧められてみたホラー映画。

スナック片手に観れる程度のゴアで、ホラーというよりサイコスリラーのようなかんじ。

ちょっとくすんだ東欧系のカラーリングや、レトロなファッションと舞台美術、カメラワークなんかは大変かっこよかったのだが、一度見ただけでは当たり前だが全容を掴むことはできなかった。

かといってもう一度見たいかと言われればそれほどでもない。

 

ちょっとネタバレありなので注意!

 

ちょっと気になったところ

70年代冷戦当時の時代背景を取り入れているのはわかったが、本筋と絡むことが少なく余計感は否めない。

せっかくのリメイクなのだから、がっつり情勢をシナリオに組みこんでくれても良かった。

恐らくはナチスの比喩としての舞踏団を意識させたかったのだろうが、魅力的な素材なだけに少し勿体無い。

博士と妻のくだりは、もう少し本編にからませられたのではないだろうか。そもそも博士はなんのために出てきたのか。単なる探偵役でなく、女性を守れない男性性のシンボルかとも思ったが、実際の演者はマダムブラン役のティルダなのでそういう部分も弱い。なんであの人スッポンポンで転がされたの?

警官の男性がいたため女性だけで舞台を構成するという意図とは違うだろうし。

もう一つ言うならば、ラストのサスペリウム降臨のシーンなんかはまるでデウスエクスマキナ。いかにも雑にジャバザハット率いる敵対勢力の支持者たちを粛清していったが、これも善なる万能神感、ともするとアメリカンな正義のスーパーヒーロー感が拭えない。

 

圧巻のダンスシーン

ただダンスシーンは圧巻である。

謎服&肌色パンツで繰り広げられる前衛的なコンテンポラリーダンスは真似したくなるシーンだ。

最後の肌色注意のダンスも、まるでディオニソス秘儀の乙女たちか、はたまたサバトかというような怪しげな雰囲気が素敵だ。ただしその後の潰譚(by 伊藤潤二)調のグロシーンはやり過ぎて色気もなにもなかったのでちょっと残念。

 

まとめ

視聴前に男女で意見が違うだろうという話を聞いたがたしかに納得。

ただ女性側から登場人物にシンパシーを感じるかという点ではノーである。

男性監督が描く耽美的な女の園や、未知のものとしての女の怖さや魔女たちのエネルギッシュさの描写は面白いが、あくまで登場人物は男性のなかの幻想の女であり、生身の女とは乖離しているというのが感想。だからこそ魅力的で興味深いというのはあるだろう。

 

ぐちゃぐちゃと行ってしまったが、男だろうが女だろうがどっちでもいい、そんなことよりも個人の感想として言いたいのは、

高尚なのかB級なのかはっきりしてよという一点である。

 

映像美はたしかに納得のものなので、グロが平気なら一度見てみるのも良いだろうか。

 

SUSPIRIA サスペリア (字幕版)

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【映画感想】『野火』

塚本晋也監督の『野火』。

8月15日なので戦争ものをという謎の義務感でprimeで見つけたこの作品を視聴。前評判にビビりつつ見たが、やはり前評判通りだった。

フィリピンのジャングルで飢餓と銃撃の恐怖のなか彷徨う主人公を追う本作、敵が潜むジャングルにおいて死体に囲まれ飢餓に苛まれ狂っていく人間性の描写も秀逸で、ガリガリに痩せ、歯もかけ、誰が誰かわからないほど真っ黒に汚れた演者の鬼気迫る演技も相まって凄まじい。

生々しい死体描写や銃撃のときの血塗れの描写は目を覆うものであり、全編を通して正直に言うと気持ち悪さを抑えられないほどグロテスクで残虐である。

ただスポンサーさえつかず自費で制作した監督が、戦争の恐怖を後世に伝えなければならないという想いのもと制作した作品であるらしく画面から滲み出る執念は凄まじい。

英雄もおらず敵もよくわからず、ストーリーラインも曖昧で、ただただ苦しい1時間20分である。

ただし、私は見たことを後悔していない。

むしろ見てよかったとさえ思う。

これほど苛烈なきつい描写の映画は見たことないが、本物の戦争はこれすら比べ物にならないくらい恐ろしいものだったのだろうと想像する。

私が見た数少ない戦争映画の中でも、「戦争はなぜいけないのか?」の問いにさまざまなアプローチがあった。

現代人の感覚で主人公が反戦を声高に叫ぶものがある。しかし戦争を経験した世代ならば話は別だが、経験していない世代が作るならば私はセリフによる説教は上滑りをしてしまうのではないかと危惧している。

思えば子供の頃見た『はだしのゲン』や『火垂るの墓』を見たときの映像的な恐怖が、戦争への嫌悪感へと繋がっていた。原爆や空襲という恐ろしいことが起こる戦争はいけないものだと素直に思えたのである。

この映画はただ純粋な戦争の凄惨さ、恐怖を極限まで高めて映像化していることに意味があると思う。

世界情勢を知るにつけ、純粋に戦争はいけないと言えなくなってしまった人は多いのではないだろうか。

でもマクロで物事を判断する以前の人としての根本的な部分で戦争の暴力を、理不尽を忌避する心が「戦争はなぜいけないか?」の答えだと思う。

そういった意味でこの映画が、一言の反戦メッセージもないまま、強烈な反戦映画としてひとつの極みに達していると感じた。

戦争を知らなければならないという思いを持つ覚悟ある人だけは見てほしい。

ただしグロ耐性が無い人は絶対に見ない方が良い。絶対にトラウマになる。

かくいう私も、もう二度と、頼まれても見たく無い。

絶対に。

 

絶対に。

 

 

野火

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  • 発売日: 2016/05/12
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【漫画考察】『鬼滅の刃』見え隠れする鬼退治と製鉄民

 

今回は、最近話題の鬼滅の刃を取り上げてみたい。

直接的なものはある程度避けたつもりだが、関係性なんかのソフトなネタバレがあるので単行本未読の方は注意注意!

 

諸兄は鬼滅の刃に散りばめられたあるコードにお気づきだろうか。

キーワードとなるのは〝鉄〟である。

今回はこのキーワードから鬼の正体を考えていこうと思う。妄想爆発注意だぜ!

 

桃太郎の鬼は製鉄民か

鬼滅の刃は大正時代を舞台とした鬼退治の物語であるが、鬼退治といって思い浮かべるのは日本人ならば桃太郎だろう。

桃太郎の退治する鬼は実は製鉄民だったのではないかという考察があるのをご存知だろうか。製鉄民というのは読んで字のごとく、鉄を製造する技術を持った人々のことである。製鉄の技術を持つということは、鉄の錬成、武器の製造イコール武力を持つということであり、古代にはかなりの力を持った製鉄民の国が、日本に存在していたと考えられる。その中で中央政権と敵対した、いわゆる"まつろわぬ民"が土蜘蛛やら鬼などと呼ばれていたのである。

つまり桃太郎の話は、中央政権が反対勢力の国を滅ぼしその技術を奪い取ったことの寓意とも取れるのだ。

 

鉄にゆかりのある登場人物たち

鉄のイメージの話に戻ろう。

ここからは鉄イコール製鉄と捉えていく。実はこの作品の中には、製鉄と縁が深そうな人物が沢山出てくる。

 

まずは主人公の竈門炭治郎。

カマド、炭と名が表す通り、炭治郎の家は代々炭焼きである。この木炭はたたら炭ともよばれ、たたら(風を鞴に送って火を焚き鉄を溶かす)に不可欠なものだ。また同じく生業にしているであろう杣についても、かつては士農工商の外の仕事であり、山師や鍛治師とともに古代製鉄民とは縁が深い。

柳田國男らの著作にも炭焼長者として紹介されている「炭焼藤五郎(芋掘り藤五郎)」の説話では、やはり炭焼の藤五郎は鉱山師と関連づけられている(イモは鉱山用語で富鉱)。これは無欲な炭焼(芋掘り)藤五郎の元に観音様のお告げを聞いた姫が嫁に来て金塊を見つけ幸せになるという類の話だが、一説にはこの姫が顔に痣があると伝えられているのが興味深い。

さらには竈門家に代々伝わるヒノカミ神楽は、名前からして明らかに出雲神楽であろう。出雲神楽は中国島根雲南地方に伝わる伝統芸能で、日の神アマテラスオオカミが天岩戸にこもった時にアメノウズメノミコトが踊った舞とされ、その内容は出雲の斐伊川にまつわる神話だとある。古代出雲は鉄の一大産地であり、中央に匹敵する力を持った国であった。斐伊川も調べれば製鉄とは縁深い。

因みにタタラ場と森の戦いを描いたもののけ姫の舞台も出雲である。

 

次に炭治郎の育手、鱗滝左近次

その名はまさに水の呼吸らしいものであるが、彼が被っている面は天狗だ。

天狗は山中を鉱脈やたたらの原料となる木を求めて漂白した製鉄民と、その系譜である山人、野鍛治、鉱山師と重なる。天狗のうちわは風を起こすうちわは鞴につながりに天狗の赤い顔は丹を思わせ、さらに火を間近で扱う熱せられた顔のようでもある。

かの水木しげる御大は天狗倒しという山中の怪を紹介しているが、人の分け入らぬ深山で木が倒れる音を聞くというもので、恐らくサンカはじめ漂泊の民や下界との交わりの薄い山人の生活音を聞いた里人の驚きから来ているだろうと思われる。

 

そして水柱の冨岡義勇

冨岡はクールに見えてただの天然で口べたというギャップが素晴らしい(贔屓目)炭治郎の兄弟子である。

冨岡の名は富んだ丘、つまり鉱脈の山を表している。また、たたらのために鉄を採掘したその下流では土が富むと言われているため、上流から流れ出た土砂が肥沃な丘を築いたとも取れる。鉱脈師、山師との繋がりを感じる名前である。

 

鋼鐵塚をはじめとする鍛治師たちなどは、まさに役柄から明らかである。彼らの名は皆鍛冶や鉄に関するものになっている。鋼鐵塚、鉄穴森鋼蔵、小鉄、鉄井戸、極め付けは鉄地河原鉄珍(なんというすてきな名前!)と、鍛治師らしい金物の名前をしており、揃ってひょっとこの面を被っている。ひょっとこは火男に通じ、鍛治や製鉄と縁深いし、彼らが日輪刀を打つために特殊な鉱石を利用することから、山師としての一面も見て取れる。

ちなみに物語中、鋼鐵塚が負傷し一時的?に隻眼となるシーンがあるのだが、これは鍛治の神である隻眼のアメノマヒトツノミコトを意識してのことであろう。鍛治の神、山神には隻眼やひとつ足の伝説が多い。溶けた鉄や火を見続けて視力が悪くなる、たたらを踏みすぎて足が悪くなる鍛治の職業病を表しているともいわれている。

そして鍛治師たちは離れた隠れ里に住んでおり、それがまたまつろわぬ民の末裔である証なのでは?という妄想を掻き立てる。

 

炭治郎の味方となる鬼の女性珠代。

再び炭焼藤五郎の話になるが、この類の説話では、藤五郎の元に嫁いでくる姫の名前に「珠」の字が入っている。その理由は定かではないが、藤五郎が鉱山師ならば、珠はもちろん金銀財宝、鉱石のことだろう。鬼に金棒という言葉もある通り、鬼は五行でいうところの金気と結びつきやすい。

ちなみに藤五郎の名前にもある「藤」の花。これは作中で鬼が嫌う花とされているが、かつて鉄の持ち運びの籠などを藤蔓で作っていたことから製鉄とは縁深い花である。日本の地名で藤が付く場所は鉱山との関連が高く、よくダイダラボッチ(これもダイダラ→たたら、というように製鉄民のイメージを持つ)の山崩し、山づくり伝説と共に語られている。

カナエとカナヲのカナは、金に通じる。

なんてのは流石にこじつけと言われるかな?

 

そういうわけで、主要な登場人物たちの由来に製鉄民の影が見えたところで、先ほどの製鉄民イコール鬼の図式を思い出してほしい。

 

鬼舞辻と鬼滅隊の関係は?

鬼滅の刃の敵の総大将の名前は鬼舞辻無惨様。気まぐれに部下を殺しまくる稀代のパワハラキャラである。この無残に対し味方陣営のボスであるお屋形様は、同じ一族であるというような意味深発言をしている。鬼と産屋敷は根が同じであるということである。

前項と本項を踏まえてみる鬼滅の刃は、鬼の子孫が鬼を退治する話とも読めるのだ。

 

ヒノカミ神楽と天孫信仰?

竈門家が踊っていたヒノカミ神楽は、アメノウズメノミコトの舞であるといった。これは前述の通りアマテラスオオカミを出現させる巫女の舞であり、竈門家の花札の耳飾りも旭日模様、つまり太陽の出現を表していることから、竈門家が日の神に仕える家であると分かる。ただ炭治郎の夢でも最初の剣士?と炭治郎の祖先が出会う場面が描かれていることから、竈門家は日の呼吸の祖ではないだろう。

竈門家と日の呼吸の関係がこれからの鍵となるのかもしれない。

 

鬼VS日の神であれば古代出雲をはじめとするまつろわぬ氏族VS天孫系という至極単純な対立構造であったところ、この作品ではヒノカミの力を手にした鬼の子孫が鬼(鬼舞辻)を退治するという構図になってしまっているのが面白い。

たしかに鬼殺隊は政府非公認だしお上(天孫系の天皇家を戴く大正政府)は関係ないかんじである。

またなんというか複雑になってきて考察が滾るというものだ。

 

以上はほぼほぼ想像の域どころか妄想の類であるが、作者がキャラクターの名前にあれほど気を遣っているからには、その背景を邪推せずにはいられない。

アニメも好調の鬼滅の刃。これからも目が離せない。

 

 

 

 

 

 

【漫画紹介】『水鏡綺譚』無常の中に優しさが灯る中世妖怪草子

近藤ようこ氏の作品は不思議な魅力を持っている。

極力省かれた線や曖昧な背景、まるで

学生時代ノートに書き綴った漫画のような作画など、最近の書き込まれた漫画に慣れたものにはいささか物足りなく感じられるかもしれない。

しかし読んでみれば、その漫画の白い背景空間から滲み出る色彩、ペンの息遣いを十二分に感じる人物の表情や仕草に宿る感情に驚いてしまうのである。

 

近藤ようこさんといえば古典や中世の説話や説経節を原作やヒントとした物語を多く描いており、今回紹介する『水鏡綺譚』もそのひとつだろう。

 

●中世日本の不思議な妖譚

妖の跋扈する中世に生きる少年少女が主人公の『水鏡綺譚』は、のちの高橋留美子さんの『犬夜叉』に影響を与えた冒険活劇(なんと二人は高校の漫画倶楽部の仲間!)で、おどろおどろしさとともに独特の無常観が漂う不思議な作風である。手塚治虫さんの『どろろ』から政治思想を抜いたうえで、女性独特の柔らかいタッチにした感じだろうか。

 

●あらすじ

山犬に育てられ、立派な人間になるために旅をする修験者の少年ワタルは、ひょんなことから心をどこかに落としてしまった不思議な少女鏡子と出会い、少女を無事に家に帰すために連れ立って旅を始める。本作はそんなふたりの前に古狐や松の精などの妖や怪異が現れるというロードムービーである。

 

●無常の中に優しさが灯る独特の世界観

登場人物の持つ仏教思想の色濃さは、現代の考え方に沿うように登場人物が動く昨今量産されるファンタジーとは一線を画し、それ故か独特の無常観やそれとは逆のエネルギッシュさや優しさに溢れている。まさに説経節などを得意ですら作者の真骨頂といったところだ。

 

基本的には1話完結の本作であるが、物語で重要なファクターとして登場するのが「因果からの解放」と「生まれ変わり」だろうか。

主人公のワタルは狼に育てられ立派な人間になるために旅をしている。また登場人物の多くが作中でそれぞれの因果を断ち切って生まれ変わるという選択肢を取っており、特に八百比丘尼の回ではさらに明らかな形で描かれる。

同作者の『五色の舟』では新しい世界に生きるものが過去を見つめるのに対し、本作は少年漫画らしい明日への希望で溢れており、そこにちょっぴり潜む悲哀がまた胸を切なくさせるのである。

 

近藤ようこさんの作品の中でも比較的読みやすいので、入門書にぴったりの一冊。

 

近藤ようこさん好きに個人的オススメ

『五色の舟』

津原泰水さんの同名小説幻想小説戦時中の広島を舞台に、川辺の舟で暮らす見世物小屋の一家の物語。

怪しく哀しく、そしてとても愛おしい。

 

『妖霊星 しんとく丸の物語』

中世説経節を現代的な解釈で蘇らせた意欲作。中世的な世界観を堪能できる。

姫が業病にかかった身毒丸を背負い岩清水へ向かうシーンは、人物と天王寺の配置などまさに空白の美の極致。

 

水鏡綺譚の世界観が好きなら

高橋留美子犬夜叉

言わずと知れた妖怪漫画。高橋さんは文庫版本書の寄稿にて、水鏡奇譚の続きを知りたくて犬夜叉を描いたと書いている。

 

手塚治虫どろろ

巨匠の妖怪漫画。少年百鬼丸どろろが体の48箇所を取り返すため妖怪退治をしながら旅をする物語。2019年版のアニメも合わせて是非見て欲しい。

 

 

水鏡綺譚 (ちくま文庫)

水鏡綺譚 (ちくま文庫)

 

 

 

【小説紹介】『残穢』これは怪談小説の極みである

絶対に家に置いておきたくない本。

残穢』を検索すると必ず出てくるのがこの言葉である。これは元を辿れば、本作が山本周五郎賞を受賞した際の審査員の言であるのだが、読んだものはその理由を十二分に理解できる。

そう、本書は本当に家に置いておきたくなくなるのである。

残穢という背表紙が見えるだけでもう駄目だ。もう怖い、もう、何か、良くない。言葉ではなく心の奥底がぞわりぞわりとする感覚、これこそが残穢という作品の本質なのだろうと思う。

わたしは作者の小野不由美さんの大ファンなので本棚の小野不由美コーナーに十二国記と並べて堂々と置いているのだが、これがふと意識の端に登るとやはり怖くなってしまう。

 

●あらすじ

小説家の主人公である私は、読者から怪談話を集めている。ある時読者の久保さん(仮名)から、家の中でサッ、サッと箒で履くような音がするが、見ると誰もいないという手紙を貰いふと既視感に襲われる。かつて別の読者からの手紙でも同じような内容のものがあったのである。気になって調べると久保さんとその別の手紙の主は同じマンションの別の部屋に住んでいたということがわかる。

久保さんと調査に乗り出した私だが、同じマンションのあちこち、別の階、別の部屋で同じような、あるいは別の怪異が現れていること、また不幸が起きていることが発覚する。

怪異から逃れるように引越しをした久保さんであるが、彼女の新しい部屋で再びあの音が聞こえるようになって……。

 

箒で履くような音

天井に揺れる"ブランコ"

畳の端に見えた着物の帯

現れては消える赤子の顔

床下を徘徊する者

地の底から聞こえる轟々という音と叫び

 

私と久保さんはマンションのあった一帯の土地の来歴を調べて行くことになる。

高度経済成長期、昭和、大正

土地とそこに住んだ人を介し運ばれて増殖していく怪異はやがてある一つの身の毛もよだつ怪談へと収束する。

 

●この怪談は、触れれば最後

この作品は主人公である私の淡々としたドキュメンタリータッチの一人称が特徴である。主人公が語るという点で、この作品はホラーではなく怪談だ。

百物語や圓朝の落語、稲川淳二白石加代子に代表とされる所謂怪談話を収集し、日本古来の穢れの概念を絡めて分析するドキュメントである本作の語り手は一見して怪異の外側にいるかのように思われる。最初、読み始めた読者は私と一緒に怪異の謎を冷静な安全な世界から追っている、つもりになる。

しかし読み進めているといつのまにか読者自身も怪異に感染していると気がつくのである。

気付いた時にはもう遅い。

決して逃れられない。

残穢を家に置いておきたくないという冒頭で紹介した言葉は、このことを如実に表した言葉なのである。

 

●【読者前に読んでほしい】残穢に触れやすい人の特徴

残穢の感想は、とても怖かったというものと、まったく怖くなかったというものに分かれる。

先ほど本作をホラーではなく怪談であると書いた。

ゆえにこんな人は本作には向いてないだろう。

怪談に必ず因果を求める人は向いていない。また映画の貞子や伽倻子などの直接的な幽霊ないしクリーチャーが襲ってくるなどの、お化け屋敷のような派手な刺激を求めている人は本作を読んでも楽しめないだろう。

本作の魅力は日本らしい、じめじめしてまとわりつくような静かな恐怖である。

卓越した文章力と構成により淡々と語られ続ける怪談の積み重ねにより、うちなる恐怖心を増幅させるという大変高度で容赦ない仕掛けが本作の最大の特徴といっても良い(さすが主上)。つまり恐怖は読む人間の想像力に比例して果てしなく広がるのである。

あなたが夜の廊下の奥の暗がりに何者かの視線を感じるような想像力逞しい人であれば、確実に残穢に触れてしまうだろう。読む際は気をつけた方が良い。トイレも済ましてから読むべきだ。

 

残穢を読む前に必ずこれを読了すべし

残穢には別出版社から同時期に発売された姉妹本がある。それが同じく小野不由美さん著『鬼譚百景』である。

こちらは百物語の体裁をとった九十九話の短編集である。そこまで怖くはないが、時折ぞわりと背筋が粟立つ怪談が揃っている、単品としても優れた怪談本である。気軽に読めるので残穢を読む前に、是非本作に一通り目を通してほしい。

特に文庫本でいう109pの「お気に入り」、296pの「欄間」を読んだ上で残穢を読み始めることをお勧めする。

 

理由は、あえて言わない。

 

 

●個人的な感想

個人的に『祝山』も『ぼぎわんが来る』もあまり怖くなかった(もちろん、どちらも面白かったけどね)。

最初こそ恐怖を感じる点はあるものの、やがてなんとはない嘘臭さにすっと冷めてしまい、それからは作りもののエンタメ小説にしか見えなくなってしまうのである。怪談とは読む、あるいは聞くもののすぐ近くに恐怖を感じさせてなんぼであると思っている。閉鎖された空間で耳から半強制的に流し込まれると落語などの語りの怪談とはまた違い、読者のペースに任される読む怪談は、読者をその世界観から逃さない相当な作者の技量が要求されると思っているが、そのあたりはさすが小野不由美さんである。

客観的だったはずなのにいつのまにか自分も取り込まれている恐怖。今まで読んだ中で個人的には『残穢』が最も怖い本である。

これを書いている昨日今日で、原因不明の体調不良に襲われて、そのタイミングに恐怖したのは内緒だ。

余談だがこの残穢竹内結子さん主演で映画にもなっている。しかし映画は語りで恐怖させるという怪談としての本作の魅力が完全に削がれていて怖くないのであまりオススメはしない。

 

ちなみに残穢の主人公の私は、明らかに作者の小野不由美さんである。少女小説執筆時に怪談話を集めていたというが、これは作者がティーン小説『悪霊シリーズ』を書いていた時期のことだろう。作家の夫(明らかに小野さんの夫の綾辻行人さん)のほか実在の作家名が何名か登場している。

そして、

本作中でもあとがきやコメントにおいても、本作を完全なフィクションと断言している記述は、見当たらない。

 

 

残穢の怖さが好きな人にオススメ

三津田信三『ついてくるもの』

取材を基にしたという怪談集。なかなかに怖かった。

これを読んでから藪知らずという言葉が怖くて仕方がない。

小野不由美さんのオススメホラー

『営繕かるかや怪異譚』

古い城下町を舞台とした怪談集。

そうでもないと思ったらじわじわ地味に怖いので注意。『蟲師』の漆原友紀さんの表紙がまた素敵。

屍鬼

古い村を舞台に起こる怪奇事件を描く本作。文庫なら五冊と、中々分厚く読み応えがあるが一度ハマると一気に読んでしまえるほど怖面白い。

以前『封神演義』の藤崎竜さんが漫画化していたのでご存知の方もいるかもしれないが、漫画で読んだ人も是非原作に手を出してみてほしい。

魔性の子

小野不由美さんの代表作『十二国記シリーズ』の前日譚。そうとは知らずに単体で読むとけっこうな恐怖描写。小野不由美作品の入門にはぴったり。

 

漫画で怖い話を読みたい人にオススメ

いなだ志穂『ゴーストハント

原作者は小野不由美さんなので間違いはない。理詰めにされた小気味好いストーリー展開とキャラクターが光る怪奇漫画。いなださんの描くキャラはみんな魅力的、そして恐怖描写は容赦ない笑

恐ろしく丹念に貼られた伏線にきっとあなたも驚くだろう。

 

古舘春一『詭弁学派、四ッ谷先輩の怪談。』

今や『ハイキュー』で有名な作者であるが初連載はまさかの怪談。毎回怖い見開きがある。全三巻と綺麗にまとまっているので、ちょっと涼みたい時にはぴったりな良質ホラー漫画。

 

 

残穢(ざんえ) (新潮文庫)

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鬼談百景 (角川文庫)

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【映画感想】『グラン・ブルー』

たまには感傷的に映画を語ろう。

初めてリュック・ベッソン監督の 『グラン・ブルー』を観た。

透明感のなかに残酷さと孤独感がたゆたい、しんと心に染み入るような静謐な映画だった。

この映画を見たときの明るくて陽気なのに哀しいというこの空気感覚は、もしかしたらイタリアとかその他の地中海沿岸独特の気候のせいかもしれない、カミュの異邦人の「太陽が眩しかったから」に通じるようなカラッとした哀愁がある気がする。

わたし個人的には子供の頃観たフジ版のHUNTER×HUNTERで、主要人物の故郷の描写としてサントリー二島だかをモデルにしたような街並みが出てきたのを思い出した。描かれた真っ青な海と空、白い家々に落ちる濃い影。教会の鐘の音。友人を亡くした登場人物の心象風景なのだが、美しく明るい風景のそこここに潜む死の影が心に強く印象に残ったのだと思う。

本作の主人公であるジャック・マイヨール(モデルは実在のダイバー)は、まさにそんな雰囲気をまとった主人公である。一流の潜水士であり、イルカたちを家族とし海を愛する優しく純粋な青年ジャックであるが、時折垣間見れるある意味残酷でさえあるその無垢さに、我々は作品のヒロインジョアンナのように深く傷つき恐怖する。

初期リュックベッソン 監督作品の魅力を一言でまとめるならば、個人的には「innocent」だと思う。

純粋であることの美しさ、神秘性、暴力性である。

『レオン』におけるレオンの純粋さ、マチルダの純粋な愛情なんかがまさにそうだろう。

この純粋さと、純粋が故の残酷さというものをこの『グランブルー』は如実に描いていると思う。

無垢さとは自然であり、ある意味神と同義であるといってもいい。自然あるいは神と我々人間との対比の構造は、そのままジャックと幼馴染でライバルのエンゾ、あるいは海で育ったジャックと彼と恋に落ちる都会の女ジョアンナの対比に見て取れる。

エンゾとジョアンナはそれぞれジャックを求め憧れ、愛憎関わらず己の精神的支配下に置こうとする(エンゾは記録を破ることで、ジョアンナは家庭を築くことで)。しかしエンゾは敗れ、ジョアンナの声もまたジャックには届かない。 

ジョアンナとの恋やエンゾとの友情の中で悩み喜ぶ姿と、イルカを逃した時のような人間の善悪に囚われない姿という二つの側面を持ったジャックはオリオンのような半神の性格が色濃く、エンゾやジョアンナの声が彼に届かないのは、ジャックが、神様の側に半分属したような存在だからに他ならない。

エンゾたちの愛は、ある種の神への愛に近いのだと思う。つまりエンゾはイカロスであり、ジョアンナはゼウスに見初められた乙女にすぎないのである。

 

ジャックが人間として生きるのか、無垢なままの神の世界を選ぶのかという神話的な命題が、本作の普遍的な魅力に繋っているのだろう。

無垢なままでは人間の世界で生きていけないジャックの選択した、深い余韻の残る静謐なラストは素晴らしい。

 

奇しくもこの映画のモデルになったダイバーのジャック・マイヨール氏の誕生日に放映するなんてNHKもなかなか粋なことをすると思った。

 

あの男たちだけに優しい甘美な結末を見ても明らかなように、男のロマンチズムやエゴイズムに溢れた映画である本作だが、実は女性人気も高いらしい。

女性目線で見れば、ジャックとエンゾの友情や、ジャックが何考えているのかなんかも全くわからないというのが正直な感想だが、そんな男たちをため息混じりに見るのが世の女性たちの母性本能に刺さったのかもしれない。

ジャックイケメンだけど何考えてるのかわからないので、途中からジャイアン系のエンゾの豪胆さのほうがかっこよく見えてくるのが不思議である。

 

エリック・セラの神秘的なサントラがまた素晴らしい!

90年代のヒーリング系サウンドの粋であり、個人的にサントラ購入必須である。

 

ちなみにジョアンナの名言の日本語訳は何種類かあるらしいが、

「行って、わたしの愛を思い知りなさい」

のほうが個人的には好きだ。

あとアメリカの短尺版は論外なので見るべきではない。

 

 

今度は夏頃に、またグラブろうかな。

 

 

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