『封神演義』の2度目のアニメ化。 原作ファンのわたしはなんやかんや封神演義の世界観が動画で観れることを楽しみにしていたのだが(前作は地方格差の影響で未視聴)、1話を観た感想はなんというか、期待はずれだった。
率直にいうと構成が上手くない。 世界観と登場人物、ストーリーの紹介回としての1話として完全に失敗している。
※あくまで個人の意見であり、あまり良いことを書いていないので、アニメが楽しかったという人はここでそっ閉じしよう!いえ、してください!
1話のあらすじは以下の通り。
冒頭でなぜか聞仲と太公望のサシの勝負場面となる。しかも長い尺で。 その後OPを挟み本編スタート。太公望が登場してすぐ、元始天尊による封神計画の説明が専門用語を存分に使ってさらっと行われる。
原作通り申公豹との遭遇があり、雷公鞭の威力をたっぷり見せつけられる。
そのあとは原作の地味な部分(でも重要なことがある)を大胆に省き、いきなり駆け足で最初の山場である妲己との対決に突入、しかしそこで大したドラマも描かれず当然盛り上がることなく終了。なぜか原作にない人気キャラ普賢真人の回想を得て続く。 次回、人気キャラの哪吒登場。
ちょっと悪意ある書き方だが概ねこのような感じである。
ほぼ単行本1冊プラス1話に相当する。
恐ろしいほどの駆け足である。
まず最初&最大の失敗は無意味なプロローグを入れたところであるといって良いだろう。
原作漫画のプロローグはというと、古代中国の世界観説明があり、国を乱す妲己の悪行が描写されている。 特に妲己の悪行部分は、悪い妖怪に支配された国を救うというお決まりのパターンを読者に意識させることで、必要以上にコマを割くことなく作品世界の状況をうまく把握させる助けになっている。
封神演義は中国の作品なので漢字の専門用語のオンパレードであるが、敵を倒し国を救う話だという部分を理解していれば、「封神計画=敵の倒し方」や「味方の宝貝(仙人の武器)=戦う道具」というようになんとなく設定を覚えられる。 アニメでは最初に聞仲とのバトルを入れて原作通りのプロローグを省いたせいで、世界観も敵も目的もよく分からない状態で淡々と元始天尊の説明が始まるので、原作読者ならともかく未読の視聴者はちんぷんかんぷんだろう。
しかも聞仲がラスボスというのを匂わせた表現をしたあと、その後の説明では敵のボスは妲己だと言われ、聞仲に関してはなんの情報も与えられない。
初見の人は思ったはずだ。
「で、最初の金パは誰なんだ」と。
人気キャラの聞仲のお披露目のつもりなのか知れないが(この始まり方だとアニメのクライマックスは仙界大戦か)、ただ大戦終盤の映像を垂れ流しただけであり、ここで見せる必要性が全く感じられない。
むしろこの部分は終盤を盛り上げるためには先に出しちゃダメな部類の映像である。 人間らしい聞仲を先に出しちゃったらクライマックスの熱い展開に水を差しかねない、とよけいな心配までしてしまった。
ともかくこういう無駄なサービスシーンを入れる一方、他のものをセリフによる説明に頼り過ぎてしまっており、平坦で記憶に残らなくなっている印象である。
世界観とストーリー、さらにキャラクターの掘り下げすら全く出来ていない。
これらは最初の謎戦闘を省けば、ある程度表現できた事柄である。
構成の疑問は序盤以降も休むことなく続く。
今回おそらく尺の都合だろう、ものすごいハイパースで話が進み、陳桐の人狩り阻止、王貴人の撃破が省かれている。 規定の時間内にストーリーを進めるためには仕方がないと言えばそうなのだが、本来これらのエピソードは、
・ 打神鞭(宝貝)とはどういうものか、
・ 封神するとはどういうことか、
・妖怪仙人とはどういうものか(のちの仙界大戦で大事な知識)、
・妲己とその部下はどんなに悪いか、
という序盤の元始天尊のさらっとした口頭説明を、分かり易く体現した必須エピソードなのである。
なにより、太公望の普段はダメな道士だが、実は冷静に策を弄して敵と戦う合理的で頭の回る人物である(しかも頭を叩いて被害を最小限に留めようとしたり、自分が泥を被ることを厭わない善性もある)というキャラクターの掘り下げにもなっている。
尺がないなら原作の該当エピを改変したオリジナル展開にしてでも視聴者の理解のために入れるべきであった。
王貴人に至っては、原作ではその後の妲己との頭脳戦のための重要なカギになるのだが、アニメでは彼女を省いてしまったので、アニメ1話の後半で、策や経験もないまま丸腰で妲己に挑んだ太公望と陳桐・貴人撃破という実績のない敵陣営の無名道士を懐に入れた妲己がなんだか間抜けに見えてしまっている。 太公望なんて聞仲と殴り合ってるのもあり、視聴者にただの無鉄砲熱血系バカという真逆のキャラクターに間違われている可能性すらある(さすがにないか笑)。
ちなみに太公望と妲己は本来作中トップクラスの策略家であり、原作ではこの2人の大胆不敵な頭脳戦が最序盤の山場となっていて大変読み応えがある。
原作の太公望はここで万策もってして妲己に挑むが、それを上回る策略家である妲己に悠々と撃破されてしまう。太公望は反省から仲間の必要性を感じ、今後の仲間探しに奔走するというきれいなストーリーライン・感情の流れとなっている。
しかしアニメでは、元来自らの考えをしっかり持ち道を切り開く主人公である(主人公は大体そうだけど)はずの太公望が、杜撰に切り貼りされたストーリー展開のせいで、話の操り人形と化してしまっているように見えてしまっている。
太公望の人となりがしっかり描写されている原作なら主人公の活躍を応援したくなるが、このアニメの1話を見て太公望を応援したくなるかと言われれば、疑問と言わざるを得ない。
妲己に至っては極悪だ残酷だと言われながらその描写があまり無いせいで、作品を通しての悪役(+ヒロイン)であり、主人公サイドが術も戦闘力も知力も叶わない恐ろしい存在であるということが全く伝わってこない。
実は妲己はアニメでいう次回以降、主人公との直接対決のシーンは終盤までないのだ。にも関わらず太公望との頭脳戦で見せた恐ろしさ(「遊びましょ」のところとか鳥肌)、妲己は狂っているの猟奇的で象徴的なカット、妲己自作の拷問・処刑シーンなどで、主人公と読者に強烈なインパクトを残しているので存在感を失うことが決して無いド級悪役ヒロインである。
アニメの控えめな描写では、残念ながらただ残酷な趣味がある皇后という印象でしかないので、デザインや声がぴったりであるだけに、余計に残念である。
聞仲との決着がアニメの着地地点になろうとも、妲己というある種の絶対悪があってこそ聞仲との避けられない敵対というドラマが発生するわけで、妲己の描写をおざなりにすることはあってはならないのではないだろうか。
これは予想になるが、最近の成功モデル(おそ松さんなど)をもとに、いわゆるキャラ萌えで女性(いわゆるF1層)人気の獲得を目指すというのが企画の方向性ではないだろうか。
当時から少年漫画の中でも美形?男性キャラに萌える女性ファンが多かった本作は、今のニーズと合致すると踏んだのだろう。
最初の聞仲のネタバレ顔出し、普賢真人の登場などのシーンもそれを踏まえると、良し悪しはともかく企画側の意図の通りであったのかもしれない。
つまり武成王と聞仲の絆、太公望との対立、太公望と普賢真人の友情のドラマに重点を置こうというわけである。
妲己が一部キービジュアルでもプロローグでも本来のポジションを聞仲に奪われているので、貴人の件も含め、女性向け商材だから女キャラが不遇なのではと、私のように捻じ曲がった人間は、妙な勘ぐりすらしてしまう。
ただしそうだとしても、そういったキャラクター人気が、藤崎竜のしっかりと作り上げたキャラクター造形、変化に富む考え抜かれアレンジされた物語の上に成り立っているということを失念してはならない。
1話では太公望、聞仲、武成王、申公豹、普賢真人、原作では終盤しか顔出ししない太上老君といった作品の人気キャラの顔見せに注力したのであろうが、ストーリーラインがずたずたなので、余計にキャラで売ろうという下心が透けて見えてしまって興醒めしてしまう。
ここまで自分勝手に書いて今更であるが、言ってもまだ1話目。
これから本調子になるのかもしれないし、ここでごちゃごちゃ言ってこのアニメを断定するのは、早計でおこがましいというものだろう。
全てを見終わった後、この書き殴った感想を恥じて削除するくらい、キャラクターの掘り下げと封神演義ならではの骨子のしっかりした物語を、次回以降原作愛を持って見せてくれることを期待し締めとしようと思う。
↓
いや、最後までダメだったね笑
あと、
原作は名作なのでぜひ読んでほしい。