エウレカの憂鬱

音楽、映画、アニメに漫画、小説。好きなものを時折つらつら語ります。お暇なら見てよね。

【ドラマ感想】『新選組血風録(1998年)』

新選組

幕末。浅葱のだんだら羽織を靡かせ、不逞浪士を斬り京の町を震撼させた壬生の狼。

 歴史ファンでなくとも名前くらいは知っているであろう。

どういうわけか新選組には熱烈なファンが多い。もちろんわたしもその一人である。そう言ったファンには、絶対に今風に言うには「沼」に引きずり込むきっかけとなった罪深い作品がひとつあるものである。

わたしの場合、それが小学校の頃にテレビで見た新選組血風録であった。

もともと時代劇をよく見る家庭であったことや漫画「るろうに剣心」おかげでその土壌は整っていたので、堕ちるのは一瞬、まさに瞬殺だった。

 

新撰組血風録』は司馬遼太郎原作の短編連作で、同作者の同じく新選組を題材とした『燃えよ剣』と合わせて、現代の新選組のイメージに多大過ぎる影響を与えた傑作である。

日本映画でも新選組は人気だが、中でも血風録に関しては何度もテレビドラマ化されている。

わたしがハマったのは、朝日テレビ開局40周年として特別製作された1998年版の新選組である。この1988年ドラマ版版について原作、また同年代の新選組ものを絡めて書いていく。

 

ドラマの主演は近藤勇に渡哲也。そこに土方歳三役の村上弘明を始め重量感ある俳優陣が布陣し、沖田総司中村俊介若手俳優や深雪太夫天海祐希ら美しい女優たちが男臭い重苦しい画面に華やぎを与えている本作。スペシャルもやっていたので人気だと思っていたが、DVDも出ていないところを見るとそうでもなかったのか。はたまた東映の事情か。
背景は撮影所だとすぐわかるようなチープさがあったが、俳優陣の堂に入った演技のおかげでドラマには厚みがあったしさしたる問題ではない。

 

のちになって近藤と土方の年齢が行き過ぎだと知ったが、近藤はともかく土方の村上弘明に関しては、これ以上は考えられない最高の配役だったと思う。

京の町人らの使う京言葉のせいで余計か際立つ「近藤さんよぅ、おれぁね」「おめぇがなんとかしろぃ」と江戸というか武州の訛りの泥臭さ、司馬遼太郎の描く喧嘩師らしいさっぱりした潔さの妙もあり、男らしい色気があった。本作の土方は血風録というより燃えよ剣の土方像に近いように感じる。

余談だが、本作放映のしばらくのちガンガンで連載された『PEACEMAKER』という新選組漫画の土方像はこの村上弘明がモデルじゃないかと勝手に思っている。

渡哲也の近藤に関しては愚直だが清廉潔白な傑物として描かれている。原作の俗物感が薄れているところが俳優ありきなのかと今となっては気になるが、演技派の俳優陣が織り成す群像劇を締めるには、これくらいの重みのある人物の方が相応しかったのであろう。

 

さて、新選組を描くにあたり最も配役に苦労するのはおそらく沖田総司である。

夭折の美剣士。司馬遼太郎の作り上げたこの沖田像はどれほど罪深いことか。

実物の沖田は、背が高く肌が浅黒いヒラメ顔の人物だったというが、やはり司馬氏の作品に描かれたように、冗談が好きで子供と遊ぶ明るい人物だったとも伝えられている。とにもかくにも好人物だっただろうこの若者が、血なまぐさい戦場を駆け抜けてまだ若い命を燃やし尽くしたというそれだけで、日本人の琴線に触れるというものである。

 

そんなわけで決して外さない本作の沖田役は、当時若手俳優であった中村俊介であった。セリフに関してはまだ上手いとは言いがたいが、それをカバーしてありあまるその明るく清廉な雰囲気は一服の清涼剤のようで、まさに司馬遼太郎の描く沖田総司そのものである。それに最終話の別れのシーンでの表情の演技には贔屓目なしにグッと切なくさせられた。

ちなみに熟練者によくある感情のこもったセリフよりも、若干棒のアクのない平坦ぎみなセリフの方が『燃えよ剣』で土方の兄のセリフにある「俺は総司の声を聞くともの哀しくなるんだ」という表現にぴったりだと思ったが、これはまあ、贔屓の欲目だろう。

どちらにしてもこの中村俊介版の沖田総司のせいで、圧倒的に沖田ファンになってしまったのは事実である。

もう、あれだね。かっこ良いよネ☆

 

近藤土方沖田のキャラクター付けを始め、本作は連続ドラマとなっているので原作の話を合体補足、削ぎ落としをして10話にまとめている。

例えば本作の沖田は原作以上に「やだなぁ」とか「わたしはそういうの嫌いだなぁ」なんて子供っぽいセリフを言う。普段の子供っぽさを強調するからこそ、9話で仲の良かった脱走隊士を斬ったときの「この人には良くしてもらいました」という淡々としたセリフの狂気が際立ち、視聴者を居合わせた篠原泰之進と同じように驚愕させたのである。

ちなみに原作小説でこういった沖田の怖い側面が垣間見れるのが「前髪の惣三郎」のラストシーンであるが、そのシーンの土方沖田の役割はドラマでは近藤が引き受けており、聖人のようなドラマ版近藤の内面に唯一、少しの泥をつけさせるという面白い作りになっている。

 

序盤では池田屋芹沢鴨(なんと松山千春が演じている!)暗殺など、近藤土方側をまさに治安を守る正義の味方然として時代劇の主役らしく描いていく。しかし徐々に主役になる人物の視点をずらしていき、過激な局中法度や反乱分子の粛清、もみ消し、罠など負の側面を描いていく。前述のドラマ9話「油小路」では実質の主役が船越英一郎演じる伊藤甲子太郎派の篠原泰之進となり、近藤土方沖田はまるで狂気の集団に映る。伊藤派閥の間者を罠にはめ集団で囲み槍で突き刺すなんてなかなか主役側のやることではない。

ドラマ7話「長州の間者」では、斬られた間者の妻が沖田や永倉原田に憎しみを込めて「なぜ殺したのか」と問うシーンがある。沖田はバツが悪そうに「隊規を破ったから」「間者だから」と答えるが、妻は都度「それは殺すほどのことなのか」と返す。制作側はあえて主役であるはずの新選組の異常性を視聴者に示しており、物語はよりフェアな視点で描かれていたように思う。

最終的に史実の通り、大政奉還により新選組ら幕軍と薩長の立場が逆転し、新選組も追われる立場となる。史実と『燃えよ剣』を絡めて新選組敗走後の末路を、足早に伝えドラマは終わりを迎えた。

 

エンディングの松山千春の名曲「さよなら」は過去を懐かしみ決別する歌であるが、新選組の末路と重ねるとなんとも言い難い切ない心待ちにさせられる。

エンディングもそうだが劇伴もなかなか印象深く、歴代時代劇風でありながらかっこいい曲が多いのでぜひ視聴する際は気に留めてほしい。

 

以下各話の簡単な個人的感想である。

1話「幕末最大の決闘!池田屋斬り込み」

ザ・東映祇園祭りの宵山や深雪太夫の艶やかさと池田屋での凄惨な斬り合いのコントラストが良い。原作の同名話に燃えよ剣や別エピソードで描かれた斬り合い部分を付け加えている。沖田喀血もちゃんとやる。モアベター

 

2話「芹沢鴨 雨の襲撃」

松山千春の貴重な演技回。絶妙な狂気を持った芹沢のヴィラン感がとてもかっこいい。ちなみに芹沢役の松山はエンディングも担当しており、そう考えるとなんとなくシュールなエンディングである。

 

3話「沖田総司 剣と恋」

前半原作通り。初々しくて見ていると恥ずかしくなってくる。

原作では沖田の想いを知った近藤土方が余計な気を回して(文中で司馬遼太郎自身が余計なお節介と思うかもしれんが言っている)ご破算にしてしまうという沖田がまったく救われない遣るせない話だが、ドラマには後日談が付け加えられ、新選組の斬り合いに大文字見物に来ていた娘と父親が遭遇するという話になっている。原作でも沖田の気持ちを察して娘の方も赤くなったことから好意とまではいかないまでも憎からず思っていた描写があるが前述の終わり方のせいで宙ぶらりんになっていた。ドラマのこの場面で娘は沖田の正体を知りショックを受け、沖田はまた自分の気持ちに整理をつけ斬り合いに戻るという、ビターながらちゃんと落とし所がつけられた良補完となっている。

 

4話「脱隊 胡沙笛を吹く武士」

一隊士視点で新選組を描く。張り込みの時の緊張感の描きかたが素晴らしい。

切ない。

 

5話「妖艶 前髪の惣三郎」

昨今はやりのBL。男たちの複雑な恋模様。これをテレビでやるとはね。

とにかく黒田勇樹演じる加納惣三郎の色気がすごい。また前述のように原作の土方沖田の役目が近藤になっており、その点は意欲的な改変だった。

土方に無理難題を押し付けられる中間管理職な山崎烝大杉漣)がとても良キャラ。余談だが「御法度」は私のトラウマ映画である。

 

6話「土方謀殺計画 山南の脱走」

伊東一派の登場と山南脱走。

ここらへんから近藤土方一派の正義(視聴者目線)が明らかに揺らいで描かれていく。

原作の混ぜ具合も上手い。

山南と土方の対立に伊東一派の思惑がからむ。穏健派の山南を失い、この後物語は正義なき複雑な争いに変わっていく。

三浦洋一演じるの山南敬助が、大津の山中で沖田を呼び止めたときのあの笑顔が印象的である。ああ、山南さん……。

 

7話「潜入長州の間者」

永倉原田がとても明るい好人物と描かれるが、一方彼らは近藤らと同じく人斬りを平気で行う人物である。

今回は女たちがより我々に近い目線で、彼らの異常性に一石を投じる。

女が待つことしかできないものという見方は男の願望である。彼女たちは天下や沽券に振り回される男たちを支え愛するも、安寧な生活を守るときには気丈に反抗する。彼女たちはまっすぐ地に足のついた明日を見ており、リアリストだ。

 

8話「近藤勇を狙った女」

このドラマの気になるところは、やっぱり近藤の人物像である。

簡単に言えば、かっこよすぎの一辺倒で魅力がない。個人の見方だけどね。

 

9話「内部分裂 油小路の決闘」

陽気で小気味の良い男・篠原泰之進を主役に据える。映し出される新選組の狂気。

 

10話「近藤・土方・沖田 最後の別れ」

原作の「菊一文字」をベースに新選組の末路を描く。病み衰える沖田、敗走軍の中でなお毅然と立つ土方、次々と減っていく仲間。

原作では菊一文字の象徴性はこのエピソードの主人公である沖田を表していたが、ドラマでは拡大解釈され、沖田、近藤、土方それぞれの正義や生き様を表すに至っていた。ああ、切ない。

 

最後に なぜ日本人は新選組が好きなのだろうかを考えてみた。

立身出世ものはいつどの時代、場所においても人気である。戦国の武将で豊臣秀吉が人気があるというのも、この立身出世ものを地でいくタイプだったからである。

また、「もののあわれ」という言葉にある通り、日本人は滅びゆくものや儚いものへの憐憫の情も深い。盛者必衰から始まる平家物語、つわものどもが夢の跡という芭蕉の句、そして判官贔屓のもとにもなった源義経。英雄たちの活躍もさることながら、その悲劇的な最後に心を奪われるのである。

田舎の浪人や農民だった若者たちが、志のもと非情の剣を振るい続け京都の治安を守り、大名首にまで上り詰めるも、時代の流れに飲み込まれ、信じたものに裏切られ、やがては敗者となり落ち延び、滅ぶ。

新選組の物語には日本人の琴線に触れる要素が非常に多い。

天才と謳われながらも若くして病に倒れた沖田総司、仲間を次々失ってなお、北へ敗走を続けやがては幕臣新選組最後のひとりとして北海道で討ち死にした土方歳三。彼らに象徴されるように、若い命を幕末の動乱に捧げ滅んでいった新選組は、これからも日本人に愛され続けていくことだろう。

 

ちなみにこの1998年版新選組血風録は残念ながらソフト化していない。

Blu-ray BOX出してくれたら絶対買うのに。