エウレカの憂鬱

音楽、映画、アニメに漫画、小説。好きなものを時折つらつら語ります。お暇なら見てよね。

【漫画感想】『ミスミソウ』世にも凄惨な復讐譚

胸糞サスペンス復讐譚。

ミスミソウを宣伝する際わたしならこういうコピーをつけるだろう。
この本は良心を横に置いてから読むことをお勧めする。
グロ耐性のない方、心が大変清らかで優しい方も見ないほうがいいだろう。

 

おおまかなあらすじをいうと、薄幸の美少女が自分の家族を皆殺しにした同級生たちに凄惨な復讐をする話。
同じ残酷皆殺し描写でも下手な人が描くと大変軽い白けたものになってしまうが、ミスミソウがこれほど重量があるのは、登場人物たちそれぞれの情念を丹念に描いているからだろう。
美しい少女、凄惨な復讐、歪んだ愛、白い雪、赤い血、ミスミソウ
数々のファクターを通して見れば一種の様式的な美しさがある。
語弊を恐れずいえば、そもそも日本人はもともとこういった凄惨な復讐譚が好物である。江戸の古典怪談の多くがこういった復讐譚や因果ものであることからも伺える。なかにはなぜそこまでという凄惨な描写も多くある。
この物語を古典怪談的な側面から見ることで、ただの後味の悪い復讐譚以外から読み解くことができるかもしれない。
では当時の人々はなぜわざわざ胸糞悪くなるような凄惨な復讐譚を好んだのか。もちろん悪い奴やっつけてスッキリ!という感覚を味わいたいわけではない。清いもの、美しいものが罪に堕ちていく、破滅に向かっていくという悲劇に対し、ある種の美しさを見たからではないだろうか。よく欧米人は永遠に美を見出し、日本人は儚さに美を見出すと言われているが、惜しむらく失われていくものに対して、儚さを感じたとしても不思議はない。
作者の押切蓮介さんは怪談もの、怪奇もの、妖怪ものなどを手がけることが多い。古典怪談的な情念渦巻く復讐譚と江戸末期に流行した無惨絵(言葉のまま、胸糞悪くなるような無惨な絵)を組み合わせたようなこの物語は、意図されていたのならなかなかに実験的な意欲作である。
ついでに言っておけば、ミスミソウやゆうやみ特攻隊など凄惨な作品も多いのでつい人の痛みの分からない悪趣味な人なのかと思いがちだが、氏の他の作品からは自然や動物、失われていく古いものへの優しい眼差しや、共同体から外れてしまったアウトサイダーへの共感などが見て取れる。実はこの作者は痛みを必要以上に感じ取れる繊細さを持った人なのではないだろうかとすら思えるほどである。
この、氏の持つアウトサイダーへの共感が、この作品に出てくる春香をいじめる流美をはじめとする胸糞なクラスメートたちに対しても描かれていることで、読者は、善性を捨てきれず罪悪感を持ちながらも復讐心をどうにもできなかった春香を憐れみながらも、ただ完全な悪意だけでない、更生と同情の余地がある(クズなことに変わりはないが)クラスメートたちを憎みきることができないというジレンマに陥る。
押切氏は氏の自伝を見る限り、バブル崩壊後のロストジェネレーション世代であると思われる。冷戦終結湾岸戦争就職氷河期を通して善悪で割り切れない時代に培われたであろうシビアな視点を、古典怪談の無惨の様式に組み込んだこの物語の容赦ない展開が、なんともいえない後味の悪さと無情感を演出している。
全てが雪にさらわれたのち、野に咲く小さなミスミソウが描かれた寂寥感溢れるラストシーンは、この救われない物語の帰結としてこの上ない美しい場面である。
ただ、1つ言いたい。
結果、じいさんが一番かわいそう。


最後、おまけに私的オススメ押切作品を紹介しておく。以下の押切作品の詳細ついてはいつか改めて記事にしたい。

『でろでろ』
妹萌え不良の耳雄とクールな妹の留渦が妖怪や幽霊の起こす事件に巻き込まれるホラーギャグ。幽霊とかを拳で黙らせる耳雄の良キャラさよ。
サイトーさんとカントクがかわいい。

ハイスコアガール
90年代ノスタルジーとゲーム愛に溢れた青春漫画。なんやかんや紆余曲折の末、絶賛連載中。アニメにもなるよ!

『ピコピコ少年シリーズ』
押切氏の変わった、もとい冴えない、もとい愉快な実体験を独特な視点で語っているエッセイ漫画。
こちらも90年代ノスタルジーとゲーム愛に溢れている。大変面白い。

 

 癖がある作風なので読む人を選ぶが、興味ある人はこれらから観てみてはどうだろう。

 

 

ミスミソウ 完全版(上) (アクションコミックス)

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