エウレカの憂鬱

音楽、映画、アニメに漫画、小説。好きなものを時折つらつら語ります。お暇なら見てよね。

【映画感想】『グラン・ブルー』

たまには感傷的に映画を語ろう。

初めてリュック・ベッソン監督の 『グラン・ブルー』を観た。

透明感のなかに残酷さと孤独感がたゆたい、しんと心に染み入るような静謐な映画だった。

この映画を見たときの明るくて陽気なのに哀しいというこの空気感覚は、もしかしたらイタリアとかその他の地中海沿岸独特の気候のせいかもしれない、カミュの異邦人の「太陽が眩しかったから」に通じるようなカラッとした哀愁がある気がする。

わたし個人的には子供の頃観たフジ版のHUNTER×HUNTERで、主要人物の故郷の描写としてサントリー二島だかをモデルにしたような街並みが出てきたのを思い出した。描かれた真っ青な海と空、白い家々に落ちる濃い影。教会の鐘の音。友人を亡くした登場人物の心象風景なのだが、美しく明るい風景のそこここに潜む死の影が心に強く印象に残ったのだと思う。

本作の主人公であるジャック・マイヨール(モデルは実在のダイバー)は、まさにそんな雰囲気をまとった主人公である。一流の潜水士であり、イルカたちを家族とし海を愛する優しく純粋な青年ジャックであるが、時折垣間見れるある意味残酷でさえあるその無垢さに、我々は作品のヒロインジョアンナのように深く傷つき恐怖する。

初期リュックベッソン 監督作品の魅力を一言でまとめるならば、個人的には「innocent」だと思う。

純粋であることの美しさ、神秘性、暴力性である。

『レオン』におけるレオンの純粋さ、マチルダの純粋な愛情なんかがまさにそうだろう。

この純粋さと、純粋が故の残酷さというものをこの『グランブルー』は如実に描いていると思う。

無垢さとは自然であり、ある意味神と同義であるといってもいい。自然あるいは神と我々人間との対比の構造は、そのままジャックと幼馴染でライバルのエンゾ、あるいは海で育ったジャックと彼と恋に落ちる都会の女ジョアンナの対比に見て取れる。

エンゾとジョアンナはそれぞれジャックを求め憧れ、愛憎関わらず己の精神的支配下に置こうとする(エンゾは記録を破ることで、ジョアンナは家庭を築くことで)。しかしエンゾは敗れ、ジョアンナの声もまたジャックには届かない。 

ジョアンナとの恋やエンゾとの友情の中で悩み喜ぶ姿と、イルカを逃した時のような人間の善悪に囚われない姿という二つの側面を持ったジャックはオリオンのような半神の性格が色濃く、エンゾやジョアンナの声が彼に届かないのは、ジャックが、神様の側に半分属したような存在だからに他ならない。

エンゾたちの愛は、ある種の神への愛に近いのだと思う。つまりエンゾはイカロスであり、ジョアンナはゼウスに見初められた乙女にすぎないのである。

 

ジャックが人間として生きるのか、無垢なままの神の世界を選ぶのかという神話的な命題が、本作の普遍的な魅力に繋っているのだろう。

無垢なままでは人間の世界で生きていけないジャックの選択した、深い余韻の残る静謐なラストは素晴らしい。

 

奇しくもこの映画のモデルになったダイバーのジャック・マイヨール氏の誕生日に放映するなんてNHKもなかなか粋なことをすると思った。

 

あの男たちだけに優しい甘美な結末を見ても明らかなように、男のロマンチズムやエゴイズムに溢れた映画である本作だが、実は女性人気も高いらしい。

女性目線で見れば、ジャックとエンゾの友情や、ジャックが何考えているのかなんかも全くわからないというのが正直な感想だが、そんな男たちをため息混じりに見るのが世の女性たちの母性本能に刺さったのかもしれない。

ジャックイケメンだけど何考えてるのかわからないので、途中からジャイアン系のエンゾの豪胆さのほうがかっこよく見えてくるのが不思議である。

 

エリック・セラの神秘的なサントラがまた素晴らしい!

90年代のヒーリング系サウンドの粋であり、個人的にサントラ購入必須である。

 

ちなみにジョアンナの名言の日本語訳は何種類かあるらしいが、

「行って、わたしの愛を思い知りなさい」

のほうが個人的には好きだ。

あとアメリカの短尺版は論外なので見るべきではない。

 

 

今度は夏頃に、またグラブろうかな。

 

 

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