エウレカの憂鬱

音楽、映画、アニメに漫画、小説。好きなものを時折つらつら語ります。お暇なら見てよね。

【映画感想】『海洋天堂』平凡にして偉大なるすべての父と母へ

素晴らしい映画に出会えた。

心を深く揺さぶられ、見終わったときに胸の中を暖かく重たい水で満たされたような、あるいは胸に大きな穴が空いてしまったような、切ないような、哀しいような、それでいてどこまでも優しく愛しい言葉にできない感情に打ちのめされた。

こんな経験は久しぶりだった。

時間が経っても、日を置いても、ふとした瞬間に胸が詰まる。夜明け前の青い窓外に、映画全体を包んでいた優しい海や水族館の青が重なり涙が溢れてしまう。

シンチョンの無私の愛が、ターフーの無垢が、褪せることなく思い出されるのである。

映画の持つ力というのは本当にすごいなぁ、そう実感させてくれるような映画だった。

 

 

以下あらすじネタバレあり。長いので注意。

 

海洋天堂は2010年の中国・香港合作映画である。

青島の水族館で電気技師として働くワン・シンチョンは、妻を早くに失い、21歳になる自閉症で知的障がいを併せ持つの息子ターフーを男手一つで育てていた。

物語は穏やかな海に浮かべた小舟にのんびり腰掛ける父子の姿から始まる。

おもむろに足にロープを結びつけたシンチョンは、水面で遊ぶターフーに「行こうか?」と語りかける。

飛び込む親子、優しい音楽が流れる青い海中を背景に、『海洋天堂』日本語に直訳すると海の天国という印象的なタイトル画面となる。

 

監督は『北京ヴァイオリン』の脚本を手掛けたシュエ・シャオルーで、本作が初監督となる。彼女自身が14年間自閉症の施設で続けたボランティアの体験を元に作られた本作は、自閉症の息子を持つ家族の姿を淡々とそれでいて愛情深く描いている。

 

主演を務めるのは、香港・中国ひいては世界で活躍するアクション俳優であるジェット・リーリー・リンチェイ)。この映画を素晴らしいものにしている一つの要因は、脚本に感動しノーギャラで出演を申し出たといわれる彼の誠実な演技だろう。

アクションスターといえば演技は二の次というのは東西問わずの常識で、況や彼らは動きで魅せる俳優たちである。ジェットももちろん、『少林寺』『ワンチャイ 』、『キスオブザドラゴン 』などで魅せた芸術の域ともいえるキレのある中国武術・カンフー(マーシャルアーツ)が売りのアクション俳優のひとりだ。

だが本作で彼が演じたのは、アクションの無いくたびれた普通の中年の父親ワン・シンチョンである。

正直、私はこの映画の最初から最後までシンチョンをアクション俳優のジェット・リーと意識したことは一度としてなかった。それほど自然にどこにでもいるような名もなき小市民にしか見えないのだ。アクション俳優にしては、165㎝と小柄な身長と素朴な風貌のジェット、その優しそうな笑顔と雰囲気が、どこにでもいそうな中年男性のシンチョンに違和感なく重なっている。

ダニー・ザ・ドッグ』の時に表情の演技の上手い俳優だなとは思っていたが、余命わずかで自閉症の息子を遺して逝かなければならないという複雑な心境を実に繊細に演じた。

 

ある時がんで余命三ヶ月を宣告されたシンチョンは、一人では生きていけない息子ターフーの将来を憂い、一緒に入水自殺をしようとする。しかし泳ぎが得意な息子によって不本意ながら生きながらえてしまう。

帰宅した父子。シンチョンは訪ねてきたチャイさん(何かと二人を気にかけてくれる近所の女性)に生事をしつつ彼女宛の遺書をそっと隠す。

自殺を失敗したシンチョンは、ともすれば何事もなかったかのように自然にしているように見えるが、落ち着かずうろうろとし、医師に止められているであろう強目の酒を煽る。言葉にしない抑えた演出と演技で異常な心境が上手く表されている。

「嫌だったのか?」「残されてどうやって生きていくんだ?」とターフーに詰め寄るシンチョン。だがターフーは父親の言葉をおうむ返しにするだけで答えてはくれない。彼の問いかけは自身への問いかけだろう。

シンチョンは思い直し、自分が死んだ後も息子が安全に生きていけるように、残された時間で生活の仕方を教え、引き取ってくれる施設を探すことを決意する。

ただ、ここで21歳というターフーの年齢が壁となる。障がいを持った成人が受け入れられる施設はなく、仕事の合間に片っ端から連絡を取るも良い施設はなかなか見つからない。病の痛みに耐えながら、電話では少しでも施設に良い印象をと明るく振る舞うシンチョンの姿が切ない。

やっと見つかったとターフーを連れて見学に行った場所は精神病院。薄暗い雰囲気や部屋の鉄格子を見て慌てて逃げ帰る。

ターフーを一生しっかりと面倒を見てくれるちゃんとした施設を探さなければ、ターフーに一人で生きていけるだけの技術を覚えさせなければ、何よりターフーには自分がいなくなった後も幸せな一生を送ってほしい。

見つからない施設やなかなか物事を覚えてくれない息子、残された時間に焦るシンチョンだが、日々は苦しいばかりではない。

服の脱ぎ方、卵の茹で方、アイスの買い方、鍵の開け方、バスの乗り方。

シンチョンは根気強くターフーに教え続け、息子が覚えると「偉いぞ、お前は賢い子だなぁ」と本当に嬉しそうに褒める。父子二人の挑戦の日々が、優しく時にはコミカルに描かれていく。

 

ターフーを見つめる慈愛に満ちた目、その成長を喜ぶ満面の笑顔、ふとした瞬間よぎる不安や憂いを帯びた表情など、ジェット・リーの抑えた自然な芝居が本当に素晴らしい。

壁にかかった妻と息子と3人の写真を折に触れ見つめるシンチョン。

物語後半の水族館長との会話で、彼の妻が息子の障がいへの自責の念で入水自殺したということが匂わされる。もしかしたらターフーと心中しようとしたもののシンチョンと同じように息子だけ泳いで難を逃れたのかもしれない。

「妻を責めたことなどなかったのに」とつぶやいたシンチョン。彼がその十字架を背負い生きてきたことが伺え、こうやって心の中で妻に自分は正しくやれているかと問いかけながら必死に息子を育ててきたのだろうことを思わされる。

言葉での説明を極力省いた演出は見事で、シンチョンの心情の機微が、折々の表情や視線、動きのカットでうまく表現されている。我々は物言わぬシンチョンの心境を慮り心を重ね合わせ、時折発せられる彼の心境の吐露に胸を打たれるのだ。

 

ジェットとともに名演技を見せるのが、ターフーを演じる若手俳優のウェン・ジャン。知的障がいを併せ持った自閉症という難しい役を見事に演じている。

 

知古のリウ先生の紹介でなんとか民間の施設を紹介してもらった父子。

それは一般の人々が経営する養護施設だった。

ターフーを預けた帰り、リウ先生にシンチョンが珍しく弱音を吐くシーンがある。

自閉症は自分の世界をもって生きていて良い、自分との別れを悲しまなくて済むから」というものだが、それに対して先生は「感情がないのではなく、感情をうまく出せないだけだ」と答え、「あなたも本当は分かっているでしょう?」と優しく慰める。

自閉症や、その置かれた状況を発信するという側面を持っているだろうこの映画では、ターフーの感情の動きについても細やかな描写がなされている。

まさに先ほどのリウ先生の言葉を映像がうまく表していると言っても良い。

怒られれば悲しい、褒められれば頑張る、他の人よりちょっと分かりづらいだけなんだよと、ターフーの姿が語っている。

水族館に来たサーカス一座のピエロの女の子リンリン(グイ・ルンメイ!かわいい)へのターフーの淡い恋が切ない。

一座が去ったあと水族館から姿を消したターフー。シンチョンが慌てて街中を探すと、マクドナルドのベンチでピエロのドナルドに寄り添って寂しそうに眠っているのを見つけるというシーンは、こちらまでターフーの気持ちを思って悲しくなってしまう。

またターフーのシンチョンへの愛情もたくさん描かれている。褒められて喜んだり、ご機嫌な時はくっついたり。

バスの中で父親を見てはにこにことするシーンなどまるで幼子のような無垢さが愛しい。

自閉症の子供を育てる大変さや生きづらさを表現する(現実は私などの想像するよりもずっと大変なのだと思うので、知ったかのような無責任な言葉は控えなければならない)一方、その無垢さや愛らしさも同時に表現される。

視聴するものが、シンチョンと同じ目線でターフーを見ることができるように分かりやすくされた演出なのかもしれないが、それが理解の一助になることは確かだろうと思う。

先ほど描いたシンチョンの弱音へのリウ先生の言葉は、作中すぐに回収されることとなる。

 

ターフーを預け、一人寂しく家で横になっていたシンチョンのもとに施設から電話が入る。新しい環境に混乱して興奮してしまい、施設の人間では手に負えないという話であった。

急いで向かったシンチョンはターフーを抱きしめて落ち着かせる。父を見て泣きだすターフーに、シンチョンは息子の想いを知る。

泣き疲れて眠る息子を置いて席を立とうとするも、ターフーの手が父親に「まだいる?行かないでね?」と訴える。シンチョンは答えるように軽く手のひらを叩いて、そして優しく握りしめる。

シンチョンの想いにターフーが応えるさまを、二人の手だけの演技で表したのである。慎ましやかな良い演出だと思った。

 

結局シンチョンもターフーとともに施設で暮らすことになった。

施設の部屋を自分たちの家と同じように飾り、二人の最後の生活が始まる。

少しずつ、少しずつ日々の物事を覚えているターフー。

洋服の場所、卵が茹であがるにはいくつ数えたらいいか、苦手だったバスの降り方も二人でたくさん練習する。

教えたいことはまだたくさんあるのに。

 

夜、ベッドに横になるターフーに寄り添い「お前は父さんと離れるのはさみしいかい?」と尋ねるも、彼はいつものようにその問いかけをそのまま父に返す。

シンチョンは冒頭の時とは違い、

「父さんは、さみしいな」と呟く。

静かな、心に響く良いシーンである。

 

いよいよと別れが迫るのを悟ったシンチョンは、ターフーに水族館の海亀を指してあることを伝える。

「海亀はターフーよりもずっと長生きなんだよ」

「父さんは海亀になってお前を見ているからな」

おそらくカナヅチであろうシンチョンが、病をおして水族館のプールに入り、泳ぐターフーに寄り添いながら何度も何度も「父さんは海亀だよ」と言い聞かせる。

自分亡き後もターフーが、寂しくないように。ターフー(大福)と名付けた息子が名前の通り悲しいことのない幸福な一生を送れるように……。

 

幸せに笑い合う父と子。

しかし次のシーンでは、シンチョンの棺が映り、彼がその生を全うしたことが分かる。

チャイさんや施設の人たち、そして水族館の館長、父子を見守ってきた人たちが彼のお墓の前で項垂れる。

シンチョンが生前ターフーの服に縫い付けた迷子札、保護者の欄にペンを入れられなかったそこには、今は施設の名前が入っている。館長は自分も彼の後見人に付け加えてほしい、ターフーには今後も水族館で清掃の仕事をしてもらいたいと提案する。

真摯に頑張ってきたシンチョンの想いを多くの人が受け継いでいる。

 

葬式が終わり日常が戻ってくる。

ターフーはひとりで服を着て、ゆで卵を茹でる。ひとりで鍵を閉め、バスに乗り、水族館の掃除をしっかりと行う。

シンチョンに教わったこと、怒られたこと、喜ばれたこと、覚えたことひとつひとつを丁寧に行う。シンチョンの願いは確実にターフーに伝わっていたのである。

水族館の水槽で大きな海亀の背に乗り、気持ちよさそうに泳ぐターフー。

「父さんは海亀だよ」

「ずっとお前を見守っているよ」

シンチョンの背におぶさり二人で海を泳ぐように遊んだ思い出が重なり、この物語は幕を閉じる。

 

私は俗に感動モノと呼ばれるジャンルが苦手だ。CMなど感動という言葉を連呼する、制作側が泣ける映画だよ、絶対に感動できるよ、と恥ずかしげもなく前面に出している商業作品群のことである。

感動というものは本来、シナリオ・演技・演出や音楽や映像、映画という媒体の中の登場人物たちの生きざまを見て初めて生まれる感情であるはずだ。

ゆえにこれら感動を売りにした商業映画に対し、私はどうしても創作に対する不誠実さを感じてしまう。

 

だが、この作品は違う。

とても誠実だ。

余命わずかな父、自閉症の息子。

やろうと思えばいくらでもドラマチックにすることはできたはずである。

しかしこの映画はそういった小細工はせずに、ひたすら淡々と父と子の最後の日々を綴っていく。その淡々とした日々の中にこそ、苦しみも喜びも全てあるのだということを、代え難いドラマが流れているのだということを知っているからである。ターフーを思うシンチョンの無私の愛情は日常の一つ一つの行動に宿っており、ターフーの成長はその幾多もの愛情の積み重ねの上にあるのだ。

映画という興行収入がモノをいう媒体において、一見地味に思えるような丹念なドラマを作り上げた制作陣からは、命や病、現実の問題でもある要介護の障がい者と老親、福祉の問題に正面から向き合おうという誠実さを感じる。

ジェット・リーがこの作品に出たいと思った理由もこの作品の実直な誠実さにあるのではないだろうかと思える。

 

海や水族館の透明な美しいブルー。登場人物たちをおだやかに包み込むような映像は、クリストファー・ドイルによるものである。

また親子の愛を、隣人たちのまなざしを表すような優しい劇中曲は、日本の久石譲が担当している。

 

海洋天堂は、おだやかで優しく、多くのものを与えてくれるまるで深い海のような作品である。

大好きな、大切なターフーの幸せのために頑張るシンチョンの、無私の深い深い愛情に深く胸を打たれた。

純粋に父親を愛するターフーの無垢な愛情に涙を誘われた。

彼らの幸せな時間の尊さに、別れなければならないやるせなさに、自分を産み育ててくれた親への尊敬を、家族への愛をあらためて思い出させてもらった。

今まで遠いものに感じていた自閉症障がい者の問題も、前より身近に感じられるようになった。なぜならみんなシンチョンの、親の深い愛情を受けてこの世に生まれてきたターフーなのだから。

 

この作品に出会えてよかった。

素晴らしい作品を世に送り出してくれたシャオルー監督はじめ製作陣、素晴らしい物語を演じてくれたジェット・リーら俳優陣に、心からの敬意を評します。

 

本当に、本当に素晴らしい映画である。

海洋天堂(字幕版)

海洋天堂(字幕版)

  • 発売日: 2018/11/07
  • メディア: Prime Video