エウレカの憂鬱

音楽、映画、アニメに漫画、小説。好きなものを時折つらつら語ります。お暇なら見てよね。

【アニメ紹介】『FLAG』レンズが写す争いと祈り

現実と地続きのリアルなロボットが登場する戦争を報道カメラマンの目線で描く意欲作『FLAG』を紹介したい。

 

あらすじ

内戦が続くアジアの架空の小国ウディヤーナ。その和平交渉の架け橋となった一枚の写真とそこに描かれた旗「FLAG」。和平協定を前にその平和の象徴FLAGが何者かに盗まれる。撮影者の若いカメラマン白須冴子は、国連軍の依頼でFLAG奪還特殊チームの報道員として内戦の陰謀の渦中に巻き込まれて行く。


作風

物語自体はどちらかというと地味で、ハーヴィックという人型戦闘ロボットが出てくるのだが、その扱い方もロボットアニメのそれとは異質である。

淡々と描かれる作戦や戦闘は、ロボアニメの肉弾戦とは程遠く、あくまで現実に存在する軍用兵器としての行動しかしないので、そういったものを期待すると拍子抜けするかもしれない。

逆にその地味さがまたリアルに感じられて好感が持てる。

 

斬新な映像

この物語の特徴は、ほぼ全ての映像が登場人物のカメラやビデオのレンズ越しに描かれているという点である。

アニメとは本来三人称である。

小説で言えば天の声の立ち位置から俯瞰して物語を見る事が出来るということである。

しかし、このFLAGに関していえばどちらかといえば一人称に近い演出がなされている。

我々視聴者はカメラのレンズ、つまり主人公白須の目線・感情を通して物語を見るという面白い構造になっている。ことに戦闘シーンなどではこの、演出が功を奏し実際の戦場カメラマンが撮った映像のような独特の緊張感が再現されている。

 

被写体としては極端に映ることが少ない主人公の心情や成長をカメラを通して描くという演出も面白い。

白須はカメラマンとしてはまだ未熟。当初は目標もあいまいで、当初の彼女が撮影した写真を見ると被写体との距離感がまだうまく取れない様子が見て取れる(現地の人を遠くから隠し?撮りしたり)。その後白須は国連軍のハーヴィック班に随従して過ごすようになるが、作戦が始まったばかりの頃の彼女のレンズには、オロウカンディ少尉、ハカン少尉、ベローキ中尉や食事班のスタッフといった好意的で親切に話をしてくれる面々との会話ばかりが残っており、エバーソルト隊長、ハーヴィック操縦士の一柳中尉ら、少し近寄りがたい無口な面々については遠巻きに見るばかりであった。初めての人間関係の中での彼女の心情がここで言外に描かれている。そこから少しずつ絆をかわし、白須がゲストではなく仲間として彼らの中に溶け込んでいく様、白須自身の迷いや努力、仕事への向き合い方の変化などが、会話などにより淡々と描かれている。

一人称に"近い"と言ったのは、視聴者はカメラの先の被写体を通して撮影者の白須の感情を知るという部分である。これはモノローグでの独白のようにダイレクトに主人公の考えを示すわけではない、あくまで視聴者の受け取り次第という諸刃の剣である。

そこで時折現れて、物語を客観的にナレーションをするのが白須の先輩カメラマン、赤城だ。

赤城により戦局の情報やウディヤーナという国の文化、白須の客観的な人物像など、白須の把握していない、また説明できない部分のフォローがなされることで、この斬新な表現方法が成り立っている。

個人的に赤城の説明は、ポエムが入りすぎていらいらするが、ベトナム戦争時の戦場カメラマンの手記などを読むと、やはり何処か小説に近いポエミーで感傷的な描写が多かったので元来そういうものなのかもしれない。

 


ジャーナリズムとはなにか

今も何処かで起こっている紛争とは我々とは無関係なのか。

歌のないシンプルなオープニングでは、ピュリッツァー賞で見るような戦場などを写したいわゆる報道写真と、日本で平和に育つ白須の成長記録が交互に画面に登場する。

二つの世界がFLAGで結ばれることにより、我々はそれが地続きであると再認識するのである。