絵のある漫画は名作だ。
漫画は絵で出来てるんだから当たり前だ、と言われるだろう。
ここでいう絵とは印象的に考え抜かれて構図で絵画のそれのように一枚でドラマを描き切る、「絵になるねえ」の絵である。
コマとその行間には常に時間が流れている漫画という媒体においても、その瞬間だけまるでシャッターを押したかのように止まることがある。
漫画が一枚の写真あるいは絵画となる瞬間、ことエピソードの帰結としてその一枚の絵に物語が収束する美しさ。
これは漫画の大きな魅力である。
また、一枚絵を意識して描かれた漫画のエピソードは印象深く読者の意識に刻まれる。
何作か例を挙げてみよう。
まず、最初に触れなければならないのは『ONE PIECE』だろう。
作者の尾田栄一郎は、象徴的な一枚絵が大変上手な漫画家である。
断頭台の海賊王のスピーチ、ドラム王国の折れない旗、雪国のピンクの桜、仲間の印のばつ印等印象的なシーンは数あるが、なかでも一番わかりやすいのは、空島編のラストである。
空島編の流れをかいつまんで見てみよう。
主人公たちが海で超巨大な怪物の影を見る、空から船が落ちてきて空の上に羅針盤の指針を奪われる(物語世界では、この指針通りにしか進めないのだ)→
空の上へ行く方法を探すため近くの島に降りるがそこでは、空の上の空島なんて夢物語だと馬鹿にされ笑われる→
嘘つきと呼ばれた先祖の汚名を背負って、先祖が見つけたと嘯いた黄金郷を探すおっさんと出会う→
おっさんの協力で無事空島に登った一行は、空の上の冒険(ストーリーのメイン)の果てに、おっさんの探していた黄金郷が実は空島にあったという事実を突き止める
このエピソードのラストに描かれるのが、巨大な主人公ルフィの影を空の中に見るおっさんの一枚絵である。
物語の頭で出てきた巨大な怪物が、天空の人間の大きな影法師という説があるというおっさんの解説と、黄金郷にあったとされる鐘の音が鳴り響く擬音、黄金郷は実は空にあったということが描かれたその一枚絵、このエピソードのすべての線がこの一枚の絵という一点に帰結する構成は見事である。
ONE PIECEにおける一枚絵の役割は、古典芸能である歌舞伎の見栄の系譜であると考えられる。これは物語のハイライトを印象的な構図で静止することで印象付ける、つまり物語に流れる時間をストップし、観るものを一度立ち止まらせる効果があるのである。現に歌舞伎の見栄のシーンはそのまま浮世絵の題材とされている。(これ以外にもONE PIECEと歌舞伎の繋がりは多く、また別の機会に考察したい)
視線を静止させることで物語に対する印象を強く残すことになるという仕掛けの上に、作者特有のクリエイティブな構図があるからこその芸当であり、ここでエンターテイメントに大切なカタルシスを与えるための段取り、展開を重ねてきたストーリーテリングの技量が確かであるからこそであるとはいえ、一枚絵の使い方という点においては、この作者に並ぶものはいないであろうと個人的には思っている。
最近の作品でわたしが上手いなぁと思ったのは、このブログでもあげたことがあるが、大今良時の『不滅のあなたへ』である。
この作品の第1部は、氷の大地に飼い狼のジョアン(作品を通した主役であるフシという生物が擬態している)とひとりぼっちで暮らす生き残りの少年が主人公である。彼は楽園に行くことを夢見ているが、何度目かの探査で負った怪我が元で瀕死の重体となる。
このエピソードのラストの一枚絵は、自分の死期を悟った少年が、最後の力で椅子に座し孤独のまま息をひきとるその横で、今度は少年に擬態したジョアン(フシ)が前へと歩き出すシーンである。背景はなく真っ白な空間の中人物だけが描かれている。
生と死、静と動、ついに楽園へと行くことができなかった少年とその無念を背負うように立った少年姿のフシというあらゆる対比が象徴的なこのシーンは、個人的に最も美しいと思う一枚絵のひとつである。
この不滅のあなたへでは、他にも、グーグーとリーンの告白シーンや、囚われたボンとトドの影法師など印象的な一枚絵がある。逆にいうとこの作品では一枚絵のないエピソード(ジャナンダ編とか)は印象がやや薄く、やはりストーリーの面白さの他に一枚絵による緩急のリズムというものが、いかに印象の差を与えるかを表していると言える。
天野こずえは『AQUA』、『ARIA』の各エピソードにおいて、実に絵画的な美しい一枚絵を描いている。
ストーリーの帰結としてカタルシスを存分に感じさせるギミック的な要素も強い『ONE PIECE』の一枚絵に対して、日常ものでもあるこの『ARIA』では、より感覚的で絵画的な要素が強い。主人公の灯里の心に響いたもっとも美しい瞬間を切り取ったのがこの作品の一枚絵の特徴である。
この作品は映像作品からのオマージュも見受けられ、「お天気雨」における狐の嫁入り行列が一斉に振り向くのは黒澤明監督『夢』第1話の「日照り雨」のオマージュであるし、『ネバーランド』における飛び込みシーンは、かつてのポカリスエットのCM(BGMはセンチメンタルバスのsunnyday sunday)のオマージュである。どちらも大好きな映像作品だったためARIAを見てにやりとしたのはここだけの内緒だ。
「猫の王国」で旧植民地跡での迷宮の水路を彷徨った末に出逢った猫たちの集会シーン、「水没の街」での真夜中のきんと澄んだ空気と街灯揺らめく水面の情景、「希望の丘」の夕暮れの風が草を撫でる気持ちの良い風車の丘。季節の色や匂い、空気感まで伝わるような一枚絵は、読者に惑星アクアの生活を疑似体験させるのみならず、灯里ちゃんの感動と幸福感までも感じさせてくれる。
バスケ漫画の金字塔、井上雄彦の名作、『SLAM DUNK』で王者山王工業との死闘で最後の力を振り絞って逆転を目指す湘北。流川から桜木へのパスからのブザービーター。そして訪れる桜木と流川のハイタッチのその瞬間の一枚絵は多くの人が知るところだろう。
バスケ初心者桜木と天才プレイヤーの流川は、作品を通して犬猿の仲でありいがみ合ってきた。その二人のはじめての信頼、協力、バスケを通して互いを認め合った瞬間を描いたのが、このハイタッチの一枚絵である。
物語が積み重ねた時間、湘北高校バスケ部が必死に食らいついて最後まで全身全霊を込めて戦った勝利への執念、漫画を読み続けた者にだけ分かる言葉に出来ない数々の熱い思いが、その卓越した画力で描かれたセリフや音を一切排除した見開きの一枚絵から伝わってくる。
スラムダンクという漫画のすべて、1話からこの瞬間までの積み重ねがすべてこの一枚絵に収束し凝縮されている。
絵の力、漫画の力というものをまざまざと感じさせてくれる傑出した一枚である。
ここまで一枚絵の魅力を語らせていただいた訳であるが、
一枚絵が印象的ということは、構図の作り方や時間の切り取り方が上手い、つまり漫画のセンスが良いということである。漫画を判断するためのひとつの指標として十分だろう。
以上、一枚絵好きの独り言であった。