エウレカの憂鬱

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【漫画考察】『ゴールデンカムイ』尾形百之助 近代国家の迷い子たち② 1/3

裏の主人公ともいえる尾形

杉元と対になるよう設置された物語の裏の主人公格ともいえる狙撃手の尾形百之助。

尾形も谷垣と同じく日露戦争を経験した第7師団の兵士である。元師団長の妾腹として生まれ、幼少期、父に捨てられ精神を病んだ母親を、葬式ならばさすがの父も会いに来てくれるだろうという思いで殺害し、軍属となってのちは正妻の息子である弟の勇作を戦場で射殺、父親の偽装自殺の陰謀の実行犯となった過去を持つ。

尾形は愛されず存在を否定され続けた人物である。

狂った母親は尾形を見ることはなく、父親も葬式に現れない。自分に好意を持ってくれた弟は、父母や世間に愛された存在であり、最後は尾形の人間性を否定し(たと尾形は認識している)、今際の際の父親も彼に愛ではなく呪いの言葉をぶつける。


尾形は自分を殺人に対する罪悪感を持たない人間性の欠けた存在であると認識しているが、無意識下では罪悪感を封印し、欠けた部分(与えられなかった愛や存在の肯定)を渇望しているような節がある。それはフチの子守唄のシーンで尾形の寝顔がオーバーラップするコマ等からも読み取れる。

 

アシリパは、尾形にその欠けた部分を与える。

尾形に見向きもしなかった母の代わりに獲物を仕留める尾形を褒め、その獲物で食事を与える。

尾形もまた杉元と同様、アシリパアイヌ文化)による肯定を受けることで生まれ変わるように物語上定められた人間である、はずだが、それは未だ為されていない。

 

その理由は尾形が強い近代合理主義的な思想の持ち主でありニヒリストであるからで、その渇きの根源には愛の不在があると考えられるからである。


尾形は近代合理主義者か

尾形はまさに実証・合理性をその信条としている。

尾形に鶴見中尉の洗脳が効かなかったのは、その手法が擬似キリスト教的な愛と信仰に基づいていたからに他ならない。

loveという意味での「愛」は明治期に輸入された言葉であり、中でも尾形がよく言及しているのは広義の意味でのアガペー「無償の愛」である。尾形は幼少期にこの「無償の愛」を獲得することができなかったがために神も愛もまたうまく理解することが出来ないのである。作中で彼はそのままそれを祝福されなかったと言及している。

啓蒙主義の内省としてロマン主義が生まれたように、合理的な思考は、時に本来人間の持つ感情を置き去りにしてしまうという欠点があるが、本来の感情をうまく認識・処理できない尾形は、それと気づかず成長してしまう。ゆえに傍目にはその人物像が無機質に映るのである。

尾形というキャラクターのいびつさは、近代的な合理主義のなかでその感情を処理しきれないジレンマに起因している。


前述したように尾形は罪悪感を感じないのではなく封印している節がある。

彼が罪悪感はないと自称しているのは、「道理(あるいは法)の上での行いは許容される」ゆえに「罪は存在しない」従って「罪悪感を感じることはあり得ない」という証明に基づいているからである。

しかし自分が「何かが欠けた存在(正常ではない)」であるのは愛を与えられなかったからであるという花澤幸四郎への尾形の独白や、自分の思考の正しさについて宇佐美に確認していることからも、実は罪悪感を感じない自分に対する違和感(あるいは無意識の罪の意識)を持っていることが伺える。


尾形が無意識下に閉じ込めている願望と後悔のその中心はやはり母親にあるだろう。

「母に愛された存在として産まれたかった」

「自分を妊娠したせいで愛する男に捨てられ不幸になった母への罪悪感」

「そんな母を見兼ねて殺してしまった罪悪感」

花澤幸四郎への独白の時点で「愛されず望まれず生まれた自分はそもそも道理のない存在であるから、生まれながら正しくなく容易に罪を犯す存在」という自己認識を口にしている。

しかしながら、そんな認識のままでは人間はまともな精神で生きていくことができず、特に尾形に関しては、自分の母殺しという原罪に直面せざるを得ない。

よって、

「実証できない愛は人間の価値基準とはならず、全ての人間は平等でなければならない。道理の上の行いならば殺人だろうとそこに罪は発生しない」という理性主義的な生き方を信じることで自身の存在価値を死守する必要があったのである。

つまり尾形というキャラクターの言動は、常に二つ以上の意味(未発達の本心とそれを理性的に解釈した思考)を持っていると考えて良いだろう。そしてそれはどちらも無意識に自分の存在価値を守るために機能している。

大変複雑な興味深いキャラクター造形である。

【漫画考察】『ゴールデンカムイ』尾形百之助 2/3 近代国家の迷い子たち② - エウレカの憂鬱