エウレカの憂鬱

音楽、映画、アニメに漫画、小説。好きなものを時折つらつら語ります。お暇なら見てよね。

【ドラマ考察】『鎌倉殿の13人』現代とリンクする名脚本

久々に大河を完走する。

クールドラマでさえすぐ脱落する最近の私にしては奇跡である。それもこれも今回の大河が大変興味深く面白いからの一言に尽きる。

 

最初は地元出身の一族の話なので身内的な義理で見始めた本作。

序盤で見知った地名にニヤニヤしながら近所の史跡の持ち主登場にさらにニヤニヤしていると、CGの富士山が映った場面で「おや?」と気付く。

我らのよく知る富士山ではない!そう!宝永山がきれいになくなっている!

江戸時代の噴火火口である宝永山はもちろんこの時代にはない。なかなか細やかな時代考証に俄然本気で見る気が起きる。

そこからはもう沼で、興味の薄かった鎌倉時代の良さにこの一年で随分とどっぷりハマってしまった。

Twitterでもじわじわ話題となり、ドラマが進むにつれて放送直後から大量のツイートがトレンドを埋め尽くすようになったり、ファンアートで溢れたり、果ては早大門ならぬ(ピンとくる人がいたら酒を酌み交わしたい)早鎌倉という言葉まで!なぜ本作は人々をこれほど熱狂させるのか、魅力的な登場人物たちを引き合いに出して少し考えてみたい。

 

○共感を呼ぶ中間管理職の主人公・義時

北条義時はけして英雄ではない。江間の小四郎と呼ばれた若い頃は田舎武士らしい豪胆さといいかげんさを持った父時政・兄宗時らに面倒ごとを押し付けられつつ守られつつ、大きな野望も持つことなく角が立たぬようにこじんまりと業務をこなす現代でいう会社員のような若者であった義時。

彼はかつての大河主人公たちが持っていた属性「カリスマ」をアビリティ装備ができないキャラに設定されている。

大志を持たない事なかれ主義、権力への興味が薄く自分の仕事の効率化を考えるような男であり、恋愛に興味はあれどヘタくそでなかなか上手くいかない。初期の義時は現代人の(特に若い世代の)共感を得やすいキャラクターとして描かれている。

その後も頼朝の秘書的なポジションを押し付けられ、めんどくさい主君の頼朝と気性の荒さで数々の伝説を残す坂東武者たちや身内、そして朝廷や平氏との間で板挟みとなる苦労人である。義時は基本的にNOと言えないので、周りに流されながら源平合戦や鎌倉の権力争いに巻き込まれていく。常に周りのフォローに回り、軋轢が起きぬよう裏で駆けずり回り疲れ果てる義時の姿に、いっときでも自分を重ねた人は多いのではないだろうか。

 

○血の通った尼将軍・政子

日本三代悪女と名高い義時の姉・北条政子は、本作ではある意味ヒロインの立ち位置であり、リアルで地に足のついた女性として描かれる。京都の貴人頼朝を見るや、熱烈にアプローチをかける政子は、頼朝に惚れたというより頼朝の背景に惚れたと言っても過言ではない。伊豆田舎武士の娘として生まれ、京から時政が連れ帰った義母には都風を吹かされていた政子にとって、頼朝はまさに白馬の王子様。

見事頼朝を落とした政子は、その後も前妻や浮気相手とのキャットファイトを繰り広げたり、頼朝の死後は弟の義時が鎌倉を去るのを不安感から必死で止めたりと、かわいげも面倒くささもたくましさも狡さも全て包有した人間味溢れる女性として描かれている。

個人的なポイントは「狡さ」。

政子は常に優しいことを言う。かつて多くのヒロインたちも惜しげなく発揮していたこの「優しさや慈愛」。その優しさや奥ゆかしさの裏で、誰かが犠牲になっている事実を本作は隠さない。政子は現実的な女性なので、謀反人やその子供を「助けてやれ」と義時に言いつつ(例え本心の優しさからだとしても)それが問題からの逃げや偽善であることに気づいているだろう。汚れ仕事や非情な決断を義時が裏で行うことで、政子は優しさ・善の立場に立つことが出来る。政子のこの狡さや矛盾は誰もが多かれ少なかれ身に覚えがあるものだろう。

話数が進むにつれて、政子が彼を糾弾することが少なくなり、弟の決断を我が事として受け入れて、日本史に登場する尼将軍へと突き進んでいく様が丁寧に描かれて行く。

狡さという、高潔を美徳とする日本人が最も嫌う類の人間的な弱さを、これほど魅力的に描く脚本に脱帽する。

 

○英雄の不在

この時代で外せないのは義経のキャラクターだろう。従来の佇まいスマートな美少年のイメージとガラリと変えて、本作では発想力オバケの天才肌として描かれる。天才ゆえに、人の心が分からないウザさや残酷さと、天才ゆえに周りと同調できない義経の承認欲求や愛、居場所を心のどこかで求める孤独な部分とが新しい血の通ったバイタリティ溢れる義経像として作り込まれている。

義時の主君の頼朝は、煮え切らなかったり気弱なところや小狡いところもあるが、どこか憎めない不思議な魅力を持った傑物として描かれている。同脚本家監督作品である『清洲会議』の秀吉など、大泉洋は一見俗っぽい道化の皮を被った怪物の演技が大変上手い。

本作に英雄や聖人はいない。

まず主人公は受け身の中間管理職であり、その後は権力の化身となるし、ヒロインは俗な一般女性でその後は恐怖の尼将軍となる。

後の世に英雄と呼ばれる義経も、謀殺される悲劇の鎌倉殿たちもただ哀れな被害者では終わらないリアルが物語に深みを持たせている。

二代将軍頼家は、伏魔殿鎌倉のなかで、さながら自らの信のおける若いスタッフを登用しイノベーションを起こそうとする若き経営者である。彼の改革は性急で、清廉さや潔癖さゆえまわりへの根回しなどを柔軟に行えなかった結果、疎まれて暗殺をされてしまう。

三代目実朝は、頼家とまた違った形の仁で鎌倉を治めようと奮闘する。例えるならディズニーの善玉の王子様。そんな映画の世界なら彼らは正しく家臣や領民からも愛される存在であり、その統治は平和で幸せを築けただろうが、ここは坂東武者の国。我を通した兄とは反対に実朝は自らの力量を弁えた結果権力を朝廷に明け渡す決心をする。彼は善性を疑わない優しさ純真さゆえ朝廷と鎌倉の軋轢に気づくことが出来ず、また甥のドス黒い感情を理解できないがゆえ暗殺されてしまう。

ここでも「狡さ」がないと生き残れないことが描かれている。清濁併せ持つ狡さやしたたかさは鎌倉時代においても、また現代を生きる我々のバイタリティとしても重要なものなのだ。

 

○伏魔殿鎌倉の煮凝り・黒義時

ところで私は政治に清さを求めていない。大きな統治をするものの手は汚れていないはずがないと思っている。逆にそういった黒い取引ができない程度の善人ごときに国を治めることはできないと思っているので、政治に清廉さを求める最近の風潮にはあまり賛同できない。

本来の義時は黒い取引ができない程度の善人であった。しかし鎌倉という魑魅魍魎の欲が渦巻く大鍋で煮詰められた結果、萌葱の着物はどす黒く染まり、大河でも上位に位置するだろうヴィラン黒義時爆誕に至ったのである。

黒義時はしがない我々庶民のなりたくてもなれない欲望の化身でもある。智謀を駆使してどんどん敵対勢力を滅ぼして権力を手にしていく義時、しかも鎌倉を守るための小間使いとして自分の善性を押し殺して冷酷な権力者として振る舞うというルルーシュさながらダークヒーローの風格すらある。

しかし本作は前述した通り英雄=ヒーローの存在を許さない。鎌倉のため心を鬼にして粛清を行うという義時の「無私・滅私」の行いは、その実いつのまにか自らの権力欲に対する責任転嫁の言い訳となっているという真実まではっきりと描く。やはり彼も「狡い」人間くさい人物なのである。

 

○絶妙なバランスで描かれる鎌倉の人間模様

父の時政は気のいい親分気質で世話を焼くが面倒、兄の宗時も田舎の長男らしく兄貴肌だが大雑把。弟の時房は気の良いお調子者。母の律はプライドが高く、自由で俗っぽい妹のみいと政子のあけすけな会話も親近感が湧く。北条家はそうそう親戚が集まるとこういう人いるよねーという造形である。本作は歴史上でも権力欲に塗れて粛清のイメージが強い怖ーい北条家をドラマ化するにあたり、サザエさんのような愉快な家族描写を入れることで、憎みきれない人々という印象を植え付けている。

憎みきれないといえば三浦義村。義時の盟友でありながら何度も北条を裏切る不二子ちゃんのような彼もまた「狡さ」を描きながら憎めない人物である。ただ見方によっては家の存続という主目的を失わず情と仕事をきっちり切り分けられる男ともいえる。

登場人物に人間くささを持たせるのは三谷脚本の真骨頂だが、それが本作でも異端なく発揮され読者を楽しませ、同時に苦しめる。

 

義時が黒義時に醸造される過程で、多くの政敵を粛清していくことになるがその構造が本当に三谷幸喜の天才の所業すぎるのでここに書いていきたい。

上総介から義経までは頼朝という主犯のヘイト要員がいるため、義時は被害者に映る。

最初の政敵は比企一族は、比企能員とその妻の人物設定を反感を買いやすいように描くことと時政と律を主犯のヘイト要員に仕立てることで、女子供まで族滅させるというジェノサイド描写にも関わらず視聴者に受け入れやすく作られている。

男児畠山重忠との戦においても時政のおかげで、今まで共感してきた義時の状況に同情さえ覚えさせられ、頼家暗殺に関しては彼の協調性の無いワンマンな振る舞いを存分に描写してからであるため仕方がなかったと思わされる。

この頃から黒くなり視聴者の共感から外れつつある義時に変わり、息子泰時が視聴者の良心を代弁するキャラクターとして立ち回るようになるのもヘイト管理として完璧である。

その果てで訪れる和田合戦(気の良い男和田殿)や実朝暗殺(心優しい為政者)に至って視聴者はとうとう義時の権力欲を否応なく認識させられるという構造となっている。

ただの田舎の持たざる普通の若者が冷酷な権力者に成り上がるさまがこれほどナチュラルに描かれる脚本はほんとうに素晴らしい。

 

○今だからこそ受けるドラマ

フラットな視点でものを見る現代だからこそ、本作はこれほどヒットしたのではないだろうか。本作は英雄譚では無い。これは普通のしがない男が、カリスマ性ではなく謀略によって武士政権のトップにいかにして成り上がったのかを丁寧に描く政治ドラマなのである。

その過程で行われる悪事や残酷な所業も、登場人物たちの俗物的な人物像も、すべて包み隠さず(それでいて愛嬌たっぷりに)描くことで醸し出されるフラットさが、本作に対する好感度を上げているのである。

マインドコントロールを警戒し、数多の情報のなかから厳選して自ら求める答えを導き出す若い視聴者に、本作の一歩引いた視点は心地よかったのではないだろうか。

もちろん時代考証の本気度(着物の素材を土地や身分によってしっかり変えたいうこだわりっぷり)やコメディを挟んだ緩急、近年敬遠されがちな血みどろの粛清劇への怖いもの見たさ、役者陣のハマりっぷり(特に小栗旬の演技が素晴らしい)、筋肉!、テーマソングと映像の痺れるかっこよさ(メインビジュアルも抜群にカッコいい)、突然の筋肉!などどれをとっても素晴らしく、名脚本・演出に加えて全てにおいて高品質な作りであることが、これほどまで人を熱狂させた理由だっただろう。

 

多くの人々とSNSを通じて楽しくドラマの推移を見守った本作は、新しい大河の形として良い基盤を築いたのではないだろうか。

 

 

年末に本作ロスになる予定の方は下記もおすすめ

『逃げ上手の若君』

暗殺教室の作者が描く南北朝の英雄譚。主人公は最後の北条執権の遺児・北条時行!義時らが築いた鎌倉幕府の最後を描く漫画で、めちゃめちゃ面白い。ジャンプ+でも途中まで読めます。はよアニメ化してくれ。

 

平家物語

女性監督の柔らかな視点で描かれた平家滅亡の物語。平家側の時代背景を見るのに分かりやすい。

 

清洲会議

三谷幸喜監督映画作品。鎌倉殿をもう少しコメディ寄りに凝縮した政治ドラマ。大泉洋の怪演をはじめ役者陣の個性が楽しい。