エウレカの憂鬱

音楽、映画、アニメに漫画、小説。好きなものを時折つらつら語ります。お暇なら見てよね。

【ドラマ考察】『どうする家康』にハマらなかった人から見た戦略

最初に。

私は今年の大河ドラマをリタイアした。

1話目からキツかった。

でも面白くなるかもしれないからと我慢して我慢して観て、やっぱりギブアップしてしまった。

しかし今年のドラマが好評の層もあるらしく、つまりは私は今回の大河のターゲット層にもれただけなんだなぁと納得。

良い機会なので本作がどのようにターゲット層に訴求しているのかを、完全な贔屓目なしの状態から考えてみようと思う。

 

1.ターゲットは誰か

これは今まで大河に興味がなかった若者層や女子層だろう。

これまでの大河層はどちらかというと発信力の低い層であり、これから先細る層でもあるので、活気を取り戻すためには、発信力が高い若年層、女性層をターゲットに考えるのは賢明である。

それでは、若者と女子層を取り込むための施策はどのようなものか見ていこう。

 

2.演出面での施策〜POPさの強調

①丸・やわらかい・淡い

女性層は男性層より丸みがあるものを好む傾向があるといわれる。ダイハツの軽自動車であるムーブシリーズが良い例で、丸みがあり柔らかな雰囲気のものは攻撃性を感じにくくマーケティング的にも女性に好まれやすい。どうする家康のロゴは丸を象っており、書体も丸い。オープニングのスタッフロールも横文字で、ほっそり柔らかめの明朝体を使用している。アニメーションではパステル寄りの明るいカラーを多用。現れる図形も丸みが多く、柔らかな布や紙を思わせるテクスチャーも、男性より自分視点の感覚を重視するといわれる女性の感性に訴えている。

 

②平和

本作の舞台は血で血を洗う戦国時代であるが、ターゲットに好まれるテーマでは決してない。ワンピースに比べてプリキュアに流血や暴力が出てこないように、女性向けの作品は基本的に流血は少ない(耽美的感覚や色気を醸し出す小道具としての吐血などは除く)。オープニングはこの血の気配を感じさせないように作られており、これが朝ドラのようだと揶揄される所以である。

楽曲も同じく。優しいピアノの旋律をメインに据えたオーケストラの流れるような明るいメロディが特徴。ミドルテンポで全体的にリズム隊は一定で控えめとなっている。

太鼓は戦いのシンボル。血湧き肉踊る楽曲はすべからくリズム隊が強めである。前作の鎌倉殿のオープニングを思い浮かべてもらうと分かり易いだろう。本作はここでも戦いのイメージを徹底的に排除している。

 

③デジタル世代向け演出

オープニングは文字アニメーションが多用されている。近年はちょっとしたバナーにもアニメーションが使われておりZ世代には親和性が高いだろう。また大河といえば縦文字が通例だが、今回はSNSを見慣れた層が親しみやすいような横文字で作られており、デジタル世代が気安く見れるような工夫が随所になされている。

 

3.演出面での施策〜分かりやすさ

①漫画的表現

本作は家康と彼から見た人間関係を主軸としており、これは主人公に共感して物語を読み進める少女漫画的な手法である。

そして家康がその時どう思ったのかをわかりやすく視聴者に伝えることで(漫画でいうモノローグを口で説明している)、信用できる語り手となり視聴者は安心して彼の選択を見守れる仕組みになっている。これは、近年の創作物での軋轢や気まずさ、もっというと不安を忌避する傾向とも合致しており、作劇としては稚拙だが、万人に分かるような工夫であるともいえる。

役者の演技も分かりやすさを意識している。個人の技量に関わらずそういう演技を求められているのだと思う。いわゆるキャラクター化である。4話で登場した木下藤吉郎はヘコヘコしていながら時折見えない所で素の真顔になるという演出がなされており、カメラもそれを正面で捉えることにより、彼が面従腹背の油断ならない人物であると印象付ける。これは漫画でいう顔が黒くなって見えないコマと同じ、記号化の表現である。そもそも記号化とは複雑さを廃し物事を簡略化するために作られたもの。

分かりやすいので歴史に興味がない人でも気づくことができ、気づいたことを誰かに伝えたいのでSNSで発信し、それに対して多くの人が共感することで承認欲求を満たすという好循環を産む仕組みである。

 

②ゲームのムービーのような世界観

本作が叩かれる要因のひとつに稚拙なCGがある。馬上の動きには笑ってしまったが、本作が伝えたいのが家康の人間関係周りであり、血湧き肉躍る戦の臨場感ではないため蔑ろにされても仕方ないといえる(少女漫画の上半身のみの馬を見てみよ!必要なのは馬の足の筋肉ではなく、上に載っているプリンスの顔面なのだ)。

また、Photoshop加工したような背景も、信長の場違いなファッショナブルさもゲーム画面と思えば納得する。時折現れるムービーがご褒美だった時代と違い、今はゲームもフルCGの時代。その世界に常日頃ダイブしている若年層にとっては、違和感のない、むしろ心地よい映像であるのかもしれない。

 

③登場人物のキャラクター化

登場人物もわかりやすく、判断しやすい。

マントを翻す南蛮ファッションの信長、仙人か達磨大師のような武田信玄、病んだ美形悪役としての今川氏真、男装のお市。人物をわかりやすいキャラクター化して単純化を図っているのが分かるだろう。家康(元康)に関しても、泣き虫や弱虫の過剰な強調があり、髪を下ろすシーンも多いことから本来は気の優しいプリンスとしてのキャラクター化が図られていることと思う。

ドラマにおいてキャラクターとは本来は時間をかけた内面描写から形作るものであるが、本作では説明なしに見た目と過剰な言葉遣い(俺の白兎など)によって強引にキャラクターをつけているように見える(いわゆる属性)。一見浅薄だが、短期間で興味があるかを判断して離脱する可能性のある近年の視聴者を獲得するためには善策であるともいえる。

 

4.視聴者傾向に合わせた表現方法

なぜわかりやすくする必要があるのかというと、タイパ、つまり若者のタイムパフォーマンス重視の傾向への対策である。

読み込まなければわからないといった時間のかかる仕掛けは好まれない。2倍速で観る時代、パッとみて特徴や性格を把握できる工夫が必要だったのである。

そのため、キャラクターは特徴的な格好をするし、思ったことをそのまま口に出して説明する。そうすることで誰にでも流れが把握しやすく、考察を好まない視聴者が置いていかれることもない。

脚本や演出面でもかなりの批判もある本作。主にドラマとしてのシーンの繋ぎや物語の流れの不自然さ、イメージ重視で時代考証を蔑ろにした不自然さに厳しい目が注がれている。

私の考えでは、本作のドラマ部分は要点が抑えられたレジェメである。視聴者は見れば概要(〇〇が〇〇をした)が知れるので、翌日以降の話題についていくことができる。

また事実の出来事という概要の隙間には、視聴者層が話題にできるようなキャッチーなエッセンスをつめこんでいる。

たとえばBL(ボーイズラブ)という男性同士の恋愛のシチュエーションを取り入れた演出や、エビ踊りの天丼ギャグ、家康(信康)と瀬名の悲恋(本作の設定)、忍び軍団など、成功の有無に関わらず、比較的対象層がSNSなどで取り上げて盛り上がりやすいシーンや話題をいくつも入れ込んでいることがわかる。

ドラマを読み込んで楽しんで観てきた人には、その連続性を欠いた不自然さが耐え難く感じられるかもしれないが、ドラマを2倍速で観て話題として消費する層には、観やすいライトさとキャッチーさを作り出すことには成功している。

 

5.まとめ

このようなマーケティング的手法でもってして本作がしっかりターゲットに訴求できるように計算されていることが分かった。

大河ドラマはあくまでエンターテイメントであり、歴史再現番組ではないというのは分かっているが、個人的にはエンタメと歴史の整合性、ストーリー性を兼ね備えた鎌倉殿のあとだからこそ、マーケティングに頼るばかりでない制作側の歴史ドラマにかける泥臭い情熱やマニアックさを感じられる作品であってほしかった。

 

ただ、家康の人生から考えて、今後はここまで記載した手法を逆手に取った展開をする可能性もあり、他の要素を捨ててエンタメに特化した甲斐があるような極上のフィクションとして視聴者を楽しませていってくれるのだろう。

 

個人的には残念ながらターゲットに漏れて楽しめなさそうなので、次回の大河がゆるふわ平安生活ではなく、伏魔殿京都のどろどろの政争ドラマと最新の研究を反映した紫式部の目線から見たリアル貴族生活ドラマを期待したい。