エウレカの憂鬱

音楽、映画、アニメに漫画、小説。好きなものを時折つらつら語ります。お暇なら見てよね。

【映画感想】『君たちはどう生きるか』

宮﨑駿監督の最新作を観てきた。

観たままの生の感想を記録したく今、筆を取っている。

ネタバレとわずがな考察になってしまうから、未読の方は絶対に見ないで欲しい。そして観終わって自分の感想がまとまってから他人の意見として読んでくれたら嬉しい。

 

視聴後、映画館を出て夜風にあたっていたとき、突然涙が溢れ出てきた。
映画のドラマに感動した訳ではない。
宮﨑駿監督という一個人の抱え続けていたであろう想いを見てしまったからだ。そして、この子供の頃から親しみ、また同時に多大な示唆を与えてくれた偉大な監督とのこれが別れだと思ったからだ。
風立ちぬ」のプロモーションで鈴木敏夫さんは「これは監督の遺書である」と言ったが、私は作品を見てその言葉が話題作りのコピーだと思った。でも本作を見た時に、ああ、これは遺書だと思ってしまった。

本作は母を探して根の国を旅する話だ。
死の象徴である糸杉が聳り立つ根の国は、あの世であり、母の国である。

物語は自叙伝のように宮﨑駿自身の人生を描きながら、中盤からは荒波立ち風の吹き荒ぶ凄まじいあの世の世界に変わる。
創作というのは身の内に吹き荒ぶ嵐であり、創作に没頭しているときの人間は半分は死の国を覗いているのだと個人的には思っているので、私にはこの地下世界の嵐は監督の中のイマジネーションの根源に思えた。地下世界=創作の中で、宮﨑駿の分身である主人公はひたすら母を探し続ける。
奇妙な縁で主人公を助ける友アオサギはもしかしたら盟友の高畑監督の分身なのかもしれない。主人公を強く導き勇気を与えたトキコさんはもしかしたら奥様なのかもしれない。おそらく監督本人だけが分かるだろう親しい人々が嵐に翻弄される主人公を助けてくれる。

終盤で主人公はもう1人の監督自身である大叔父の積み木を断る。若い主人公は、普遍の石ではなく育ち朽ちる木を肯定するのである。
老いた監督の世界は終わりを迎え、たくさんの鳥たちが外界へと溢れ出る。若い監督である主人公は追い求めた愛する母からの慈しみと労いの包容を受けて物語は幕を閉じるのである。

事前にうっかりネタバレして嫌だなと思っていた米津玄師の採用も腑に落ちる。
本作はトップを走り続けて次世代の追随を許さなかった宮﨑監督が、とうとう次世代の背中を押すことにした決意表明であるから、同じ立場の久石さんの楽曲に甘えるわけにはいかなかったのである。

俺はこう生きたぞ、お前たちはどうだ?

映画は語りかける。
後々の自分のために、誰の感想や考察も見ないまま、今この感動を素直にここに自分の言葉で書いている。
偉大な監督から、私はどう生きるかの宿題を与えられたような神妙な心持ちになった。映画を観て良かった。

高坂監督や米林監督も名を連ねるそうそうたるテロップが流れ、最後、いつものように「おわり」の文字がない。
それもそのはずこの映画は監督の人生なので終わりの文字を入れられるはずがない。

これは宮﨑駿監督の実に人間味溢れる集大成だ。おそらくもう長編映画を作ることはないのではないだろうか。
でも個人的には、長生きして誰にもわからない趣味全開の作品を作りまくって晩節を汚しながら楽しんで創作を続けていただきたい。

素晴らしかった。
色々な意味で点数はつけられない。