エウレカの憂鬱

音楽、映画、アニメに漫画、小説。好きなものを時折つらつら語ります。お暇なら見てよね。

【漫画感想】『カクシゴト』パパの秘密のかくしごと

『カクシゴト』は『かってに改蔵』や『絶望先生』の久米田康二 の最新作である。

後藤可久士には娘の姫に重大な秘密を隠していた。それは自身が下ネタ漫画家、つまり"描く仕事"をしているということである。カクシゴトは可久士と天然娘の姫の周りで巻き起こる漫画家あるあると時事ネタをふんだんに盛りんだショートギャグである。

 

まず本屋で目に入ったのは鮮やかな青空が印象的なわたせせいぞう風の表紙であった(そういう意図せぬ出会いがあるという意味では本屋で紙の本を購入するのは意味深い)。ジャケ買いというのだろうか、買ってから調べるとどうやら絶望先生と同じ作者だというではないか。

この久米田康二との最初の出会いは高校で友人に借りたかってに改蔵であり、その頃下ネタ耐性ゼロだった私はすぐに苦手意識を持った。その後アニメ絶望先生のオープニングのかっこよさに痺れ単行本購入を試みるも、巻数が多過ぎていて無念の断念。

どうやら絶望先生が最終回を迎えたという噂を聞き、ネットで禁忌のネタバレをしてびっくり。わたしが普通のギャグ漫画と思っていた絶望先生、そしてかってに改蔵についても最終回で凄まじいどんでん返しがあったというのである。

ネタバレしか見ていなかったにもかかわらずこのどちらのネタバレ(あるいは伏線)に対しても鳥肌がたつほどびっくりした。これは予想できない。わたしはちゃんとストーリー追ってこの壮絶どんでん返しを体感したかったと、改めてネタバレの業を思い知ったのであった。

そこから久米田康二の印象は、下ネタ時事ネタと美少女が得意なギャグ漫画家→ものすごい構成力を持ったギャグ漫画家に変わった。

そんな作者の新作カクシゴトでも、冒頭カラーページから伏線の予感でいっぱいである。まるで一枚絵のような美しいカラーページでは高校生になった姫が父親の秘密を知るというアフターストーリーが語られるのだが、ここでは可久士が漫画家を辞めている風であり、しかもその生死がわからない不穏な空気が漂っている。現行で6巻まで出ているが、その最初と最後にこのアフターストーリーが楽しい本編とは別に続いているのである。可久士の本当の秘密とはなんなのか、気になって仕方がない。

本編に関しては、下ネタはほぼなく、絶望先生から続く時事ネタは健在である。ただそれもエッセンス程度で、メインは漫画家あるあるネタと父娘のほっこりエピソードである。この漫画家ネタが実体験に基づいているのか結構面白く、漫画家業界や出版業界ことがよくわかる仕組みになっている。しかも毎回連載漫画風になっているなど小ネタも満載で楽しい。個人的に特に巻末コメントがツボである。

基本お気楽な作風の合間に、アフターストーリーに通じるような可久士の秘密が見え隠れしており読む手が止まらない。

可久士はどうなってしまったのか?

箱の秘密とは?

姫の母親の秘密とは?

楽しい本編と散りばめられた謎、洗練されたコマ割りと絵柄・綺麗なカラーページ、そして可久士と姫の癒しのエピソード。これらがふんだんに盛り込まれたカクシゴト。次巻が楽しみな一冊である。

 

 

 

 

【映画感想】「実写版BLEACH」杉咲花ちゃんのルキアはとても良かったが……

実写版BLEACHを観てきたのでその感想を書こうと思う。

 

まずブリーチとはなにかというと、ジャンプで連載をしていたバトル漫画である。略称は鰤。幽霊が見えるオレンジ髪の高校生黒崎一護がひょんなことから出会った死神の少女朽木ルキアに力を譲渡され、死神代行として虚とよばれる悪霊と戦う話である。通称オサレ師匠の描く洗練された線とスタイリッシュな名前のキャラたち、ファッショナブルな扉絵、そしておしゃれなポエム等に彩られた厨二心をくすぐられる絶妙なバトル漫画であり、そのオサレ感にやられて他ならぬわたしも初期の代行編・ソウルソサエティ編あたりまで楽しく単行本も集めていた。初期はギャグも結構面白かったしなにより作風が目新しかったのである。

集めた漫画も人にあげ、話を追わなくなって久しく、ごく最近無事大団円を迎えたと聞いた。

今や大した思い入れもないわたしが、ブリーチの実写化を観てみた感想は一言で言えばイマイチである。

 

以下若干のネタバレを含むので、承知の上で読んでいただきたい。

 

まずは良かった部分を先にあげてしまおう。

まずタイトルバックが大変良かった。映画タイトルに現代的な街並みと古い日本的な風景が入り乱れて映り込む様は、和風スタイリッシュなブリーチという作品にぴったりだし、この部分の劇伴も良かった。なんだか良映画が始まる予感がするワクワクのタイトルバックだった。ただし、ここが個人的にこの映画のピークだったが。

もう一つは朽木ルキアを演じる杉咲花がとても良かった。ビジュアル解禁時原作デザインとは似ても似つかないルキアに非難が殺到していたが、それがなんの、彼女の演技は凛としたルキアをよく表現していた。

少し原作より女性らしさがある演出もあるが、それは映画は映画として割り切れる範疇。意外にも殺陣が上手で、チャンバラマン役を多くこなす福士蒼汰よりも安定感があり堂に入っていた。(まあ、福士蒼汰は一護の演技なのかもしれないが)残念なのは後述する脚本のせいで後半お飾りのようになってしまったところだろうか。

アクションも無難だが普通に迫力がありアクション好きには楽しめるかもしれない。グランドフィッシャー戦は迫力あった。ただ長くてわたしは途中で飽きたけど。

 

さて本題に入ろう。

すでに文句がダダ漏れなのでお分かりだと思うが、以下はネガティブな感想しかないので不快に思う方はここで読むのをやめてほしい。

 

まずこの映画のどこがイマイチだったかというと、脚本、構成、演出の拙さに尽きる。

特に脚本の矛盾と演出・構成の下手さが目立つ。例えば山で戦っていいたはずの一護が突然街中でバトルしているシーンがあるが、これはバトルを派手にするのと、チャドや織姫を出すという二つの目的があったと思われる(しかも彼らはこの映画では大した役回りはない脇役なのでファンサービスか続編の布石)。この目的ありきで起こった大移動により、遠距離を戦いながら走ってきた不自然さが残ってしまっている。なぜならグランドフィッシャーは一護を喰うのが目的でしかも劣勢だったわけでもないのでわざわざ街中に逃げる必要はないし、一護が誘導したとしたらわざわざ人命を危険にさらした考えなしの馬鹿野郎になってしまうからである。ラストに至っては石田も刺されっぱなし、気絶した双子も山に置きっ放し、親父は術をかけられっぱしでやはり放置。ぱなし祭りである。

2回目の夢だったかな?という1回目と対になっているせっかくの演出が、しれっと復活している石田たちの不自然さのせいでもやっとさせられてしまう。

石田お前胸刺されてたやんけ、あ、四番隊が来て治療してくれたのかな?と補完するのは既読者ならともかく初見には、厳しい。映画では虚や死神の戦いは、理由はごまかせても現実に被害をもたらすという演出しかなされていなかったはずである。

また杉咲花の上手さやプロの早乙女太一の起用など戦闘シーンが売りなのだと思われるが、殺陣やCGはともかく、演出が実につまらない。

相手に向かって走りながら構えた刀が地面で火花を散らすなど、どこかで見た演出のオンパレードで新鮮味がない。

しかも序盤中盤の戦闘シーンはあっさりしていたのに、ラストバトルがまさかの緩急なしの三連戦、延々と続く修行シーンなど時間配分が幾分おかしく、間延びした印象になってしまっている。

ここをもっと短く、ブリーチらしく?スタイリッシュにまとめて、その分キャラクターの心情を掘り下げるなり別シーンを入れるなりすれば良かったのに。

また、キャラクターの内面はぱっと見ブレなく再現していたのに、後半の戦闘ではルキアはただ突っ立っているだけで役に立たないなどうまく脚本に組み込めていないのが目立ってしまっていた。(恋次も負けたあと空気だった)。ここももったいなかった。

 

とにかく主軸がぼんやりしていて起承転結がうまくできていない。

誰かを護るために戦う男・一護の成長にもっと主軸を置いて、原作通り喋るグランドフィッシャーとの対決をクライマックスにすれば少しは纏まったかもしれないし(地味になるけど)、興行を考えるなら人気キャラの白哉恋次を出すのは必須だったの思うので、そうなったらルキアと一護の確執と絆にもっと主軸をおけば良かった。いっそオリジナル展開でも良かっただろう。

 

ただし擁護するとしたら、ブリーチという作品を短い時間で映像化すると考えた時、どうこねくり回しても六番隊とグランドフィッシャーどちらも見所であるので削り難くなっている。つまるところブリーチは映画化に向かない作品だということである。

昨年末ファンを激怒させた鋼の錬金術師の実写版、短いクールにグズグズな構成で長編を詰め込んでファンを激怒させた封神演義の再アニメと同系統だ。

 

個人的に脚本演出構成以外で気になったのが、キャラビジュアルのブレである。

子供一護はなぜか黒髪なので、大人になったら染めたように受け取られてしまう。これはキャラのアイデンティティに関わる問題なので致命的な失敗である。また、アニメキャラ寄りの白哉恋次に対し、ルキア以下の登場人物はリアル寄りになっていて、どちらが悪いわけではないにしても実にバランスが悪い。まあ、ブリーチは見た目が特徴的な作品なのだからやはり割り切って全員コスプレしたほうがまだ良かった気がする(恋次を見ても絶対白けることは明らかだがこんな中途半端なのよりはマシよ)。

あとオサレ感を意識しすぎて、流行りのタイムラプスを多用したのとディストーションばりばりの英歌詞ハードロックを何度も流したところが逆にダサかった。君の名はじゃないんだからさー。

 

BLEACHということを忘れてシーンシーン切り取れば、それぞれそれなりにきれいに面白くできているのだが、なんというか無難にできてすぎていて毒にも薬にもならない印象だった。映像専攻の優秀な学生が、課題として出された内容を丁寧に作ったという感じ。

漫画実写化の批判を意識しすぎて踏み込めず中途半端になってしまったのか、あるいは実写化で儲かりたい上からの命令で義務的なモチベーションで作ったのか。やはりとにかくなにもかもが無難で、強烈な個性や勢い、外連味0の色味のない作風のせいで、脚本演出構成のアラが悪目立ちしてしまったという感想である。

つまりはイマイチだったのだ。

 

続編につながるしかないもやっとした終わり方だが、ハガレンジョジョ同様に続編は作られないだろう。

個人的には進撃の巨人(最悪)には及ばないまでも、ハガレンに追随するかな?くらいのイマイチさである。

またひとつ貴重な面白い漫画が無駄遣いされてしまった。

 

残念である。

 

 

 

 

 

 

 

【漫画紹介】『ハイスコアガール』我が愛しの90年代ノスタルジー

90年代があの頃の仲間入りをしたのはいつだったろうか。 

私の話になり恐縮だが、小学校から中学校時代を丸々過ごした90年代は、バブル崩壊阪神大震災オウム事件、雲仙の大噴火など暗い出来事ばかりが記憶に残る一方、アニメやゲームなどの表現分野では随分と恵まれた世代でもあったように思う。


近所の駄菓子屋にはストリートファイターⅡなんかの筐体があって、友達の家のゲームソフトではみんなで格闘ゲームや人生ゲームをやったものだ。

このハイスコアガールの舞台も、そんな90年代になる。


勉強も運動もイマイチで劣等生の烙印を押された主人公のハルオだが、アーケードゲームの腕にかけては「豪指のハルオ」と自負するほど唯一とも言える特技だった。ゲーセンのみが生き場所になっていたハルオだが、ある日馴染みのゲーセンで同級生の金持ち万能美少女大野に遭遇、得意のスト2で勝負するも大敗する。追い詰められたハルオはついには禁忌のハメ技を使って大野にキレられ殴られる始末。

そこからハルオと大野の因縁が始まる。

この物語は劣等生でゲームセンターだけが居場所のゲーム狂ハルオ、そして同じく家庭環境からゲームのみが心の安らぎだった大野、この二人の成長と淡い恋心を、小中高校を通して壮大なゲーム愛とともに描く青春ストーリーである。

 

●等身大の90年代描写

この作品は、90年代を知る者にとっては恐ろしくこそばゆい描写が随所に入れられている。

例えばマジ?という言葉をあの頃なぜかマジキ?と言っていた。死語としても残っていないレベルの存在すら忘れていたこの言葉だが、作中で見たときには当時の記憶を蘇らせ、懐かしいというより小恥ずかしい気分にさせられた。まるで小学校時代の自作ポエムを読んでしまったときのように。

ストツー、サムスピ、駄菓子屋に置かれた筐体、ポリゴン、スーファミからセガサターン、プレステと進化するゲーム機。

持っているゲーム機で格差が生まれた90年代。みんな誰かの家に行ってコントローラーを奪い合っていた思い出。

愛しさと切なさと心強さとが流行り、篠原涼子が吉本芸人ではないと知った衝撃(ダウンタウンのごっつええかんじというコント番組にレギュラー出演していたのだ!)。

ゴルビーJリーグ湾岸戦争クリントン大統領、プリント倶楽部(プリクラの初期形態)、たまごっち、そしてエヴァ。彼らの成長物語の隙間隙間に配置された当時の風俗によって、なんとも言えないノスタルジーを感じさせてくれるのがハイスコアガールの大きな魅力である。

ちなみに00年代以降の人が見るとどんな気分なのか興味がある。

 

●愛おしいキャラクターたち

ミスミソウ」の記事を書いたときにも言ったような気がするが、押切蓮介の絵は個性がものすごく強いもちろん漫画家として賞賛されるべきことであるが、好き嫌いが分かれるところでもある。そして慣れるまで時間はかかるかも知れないが、慣れたらクセになるタイプである。

ビジュアルもさることながらこの作者は内面描写に関しても手を抜かない。

ゲーム少女大野とハルオに恋する小春のとんでもない可愛さについてはすでにほかの方の記事で山のように描かれていると思うので、ここでは奇をてらって主人公ハルオの魅力を紹介したい。

ハルオはいわゆるゲーム好きのゲームオタクであり、中学以降では小春ちゃんと大野の二人の美女から想いを寄せられる羨ましい男である。

平凡なハルオがハーレム漫画のように女子にモテるのが疑問に思えるかもしれないが、ゲームなりアニメなりオタクという人々が今よりよほど肩身が狭かった時代、自分が良いと思うものをはっきりと良いと言えるその男らしさ、そして好きなものに打ち込む真摯さは十分に魅力的である。

しかもそれだけでなく、ハルオは自分に厳しく、人を思いやれる人なのだ。

大野と同じ学校へ行くためにゲームを封印できる根性。朝夜のバイトでちゃんとお金を稼いで家に入れたりする思春期にあるまじき素直な家族想い。

大野の息抜きのためにお手製ゲームを作ってあげたりする想いやり(そのくせに恋愛には疎いが)。しかも滅多に悪口を言わない。(作中きってのヒールである萌美先生に対しても、仕事で厳しくしているだけなのだと大人な理解を見せた)。

ゲームバカで心の機微に疎くて冴えないハルオだが、こういった漫画的な派手さはなくとも実際の人間にあって最大の魅力を描くことで大野と小春の想いに説得力を持たせている。


ハルオの成長を縦軸に物語が進んで行く本作品。たとえゲームと関係がない場面であっても、彼の心の中ではガイルをはじめ、沢山のゲームキャラクターたちが背中を押して相談に乗ってくれる。

ゲームを通して人間として成長していくハルオをいつのまにか応援したくなるそんな作品なのである。

 


●胸キュンの恋愛描写

もうこれは読んで体感してもらう他ないのだが、ハルオと大野のピュアなお互いを想う心、小春の健気な想いなど、恋愛漫画に必須の直接的な愛情表現を極力控えた恋愛描写が魅力である。せっかくのラッキースケベチャンスを無駄にするハルオに憤慨する読者もいるかもしれないが、むしろリアルでキュンキュンしてしまう。


●まずは1巻を読むべし

ハイスコアガール は9巻現在小学校から高校までのストーリーとなっている。その中で小学校編とも言える1巻は、一冊のみで考えると近年稀に見る完成度である。1巻のジュブナイルのようなノスタルジーと爽快感、最終話で覚えたなんとも言えない切なさはぜひ体験してほしい。

この漫画が合うかどうなのか1巻をみて判断すればいいだろう。

もちろん2巻からも面白いぞ。


ハイスコアガールはいいぞ

次回10巻で最終回を迎えるハイスコアガール 、今回も大変気になるヒキで続いており時間が狂おしいほど待ち遠しい!

現在アニメも絶賛放映中であり、実際のゲーム画面を使用した対戦シーンは大変見応えがある。大野も可愛い(ハルオの声とキャラデザとオープニングは個人的にイマイチ)。とはいえ一度やらかして流されたアニメ化なだけに感慨深い。

スト2をやった人も00年世代以降の人もこの機会にぜひ一度押切ワールドを体感してみてほしい。


ちなみに川崎のウェアハウスでは初代ストリートファイターを体感できるので興味があれば行ってみてはどうだろうか。ここは電脳九龍城といって建物自体がかつて香港にあった巨大スラム九龍城砦をものすごいクオリティで再現している。ゲーマーでなくても訪れて損はない場所であるというプチ情報で今回は締めるとする。

 

ハイスコアガール 好きさんにおススメ

でろでろ…押切先生の作風が気に入ったら是非読むべし。ホラーギャグ。

ピコピコ少年…押切作品の作風が気に入ったら是非読むべし。ハイスコアガール よりもさらにゲーム愛に溢れた同氏のエッセイマンガ。


押切漫画ばっかになった……。

ですます調を使わないのだんだんストレスになってきたゾ!

 

 

 

 

【アニメ紹介】世界を革命せよ『少女革命ウテナ』

1997年に放映され、華麗な少女漫画風の絵柄と前衛芸術的な手法を駆使した演出、どろどろの愛憎絡み合った心理描写、恣意的で哲学的でありながら謎めいたストーリーなど、アバンギャルドな作風で現在でもカルト的な人気を誇る本作。監督は美少女戦士セーラームーン幾原邦彦。企画は幾原や漫画家のさいとうちほらによって結成されたビーパパスである。

わたしも、放送当時は子供だったため綺麗な絵柄だが内容が意味不明という印象だったが、大人になって再度視聴してみると独特の味わい深さに唸ってしまった。

ということで今回は少女革命ウテナの見所を紹介してみる。

 


●概要

全寮制の鳳学園中学二年生の天上ウテナは、子供の頃王子様に救われた過去を持ち、それから王子様に憧れるあまり王子様になろうとしてしまった少女で、学生服に身を包み運動神経も男子顔負け、 女子たちの黄色い声援も浴びるというベルばらのオスカル顔負けの男装の麗人である。

そんなウテナはある日、学園の中庭にある薔薇園で、生徒会の西園寺と彼に頬をぶたれる姫宮アンシーを目撃する。実は西園寺の所属する生徒会の面々は、学園の裏の秘密の森で世界を革命する力と薔薇の花嫁であるアンシーを手にするための決闘を繰り広げていたのである。

ある日親友の若葉に対し、その想い人だった西園寺がした酷い仕打ちに怒ったウテナは、そうとは知らず西園寺に決闘を申し込んでしまう。

かくしてウテナは、世界を革命する力をかけた決闘へと巻き込まれていく。

 

見所①唯一無二の世界観

切り絵の飾り枠や薔薇の花、お城と王子様、古めかしい洋館風の学園、秘密の森、美しく謎めいた生徒会の面々、そして男装の麗人ウテナ

少女漫画的記号をこれでもかと散りばめた本作。

影絵による場面転換や、演劇的な台詞回し、唐突に現れる平面的な切り絵の薔薇などなど、その演出面は前衛的で寺山修司のアングラ演劇を連想させるものとなっている。

アニメーションであることを十二分に発揮したロマンチックで可憐な絵柄とアングラで前衛的な演出の妙が織りなす唯一無二の耽美な世界観は一見。


見所②深い心理描写

さいとうちほのデザインによる美形キャラクターたちが数多く登場する本作、外見もさることながら特筆すべきはその複雑な内面描写である。

近親相姦、同性愛、嫉妬、憧憬、野心……人間の内に秘めたあらゆる情念を実に繊細にそれでいて蠱惑的に描いた深いキャラクター造形も本作の魅力である。我々人間がそうであるように、登場人物たちの本心は彼らの言動とは別のところにある場合が多く、作品はそれを安直に示してはくれない。それが作品を難解にしているとも言えるが、だからこそ、その端々に垣間見れる本心を知った時、その人間らしさがいじらしく思えるのだ。

 

見所③荒ぶるシュールギャグ

こちらもタイトルや作品説明では想像がつかないであろうが、ウテナはギャグにも力が入れられている。

影絵少女のくすりとくるちょっとブラックな掛け合い、七実主役回の振り切ったシュールなギャグセンスなどシリアスの中にもしれっとギャグを挟み込んでくるのが恐ろしい。

きわめつけは暁夫と冬芽の謎のドライブパート。これは何度見てもツッコミを入れざるを得ないレベルのシュールさである。ちなみに作中にはツッコミはいないのであしからず。


見所④華麗な音楽

ウテナは音楽の面から見てもこだわって作られている。本作は天井桟敷万有引力などアングラ演劇界隈の重鎮、J.A.シーザー作曲の合唱曲を劇中歌として使用している。放送当時、視聴中やザッピング中に耳に入った「絶対運命黙示録」が頭の片隅に残っている人も多いだろう。

二期のエンディング「バーチャルスター発生学」のアレンジは、ギターのイントロやリフなどハードロックとして聞いても大変かっこいい。

劇伴を担当した光宗信吉は、華麗な映像にマッチしたエレガントな曲から、現代音楽のような怪しげで恐ろしげなもの、クールなジャズ風など色彩豊かなオーケストレーションで作品を彩っている。とくにアイキャッチの完成度が素晴らしい。

また、オープニングの「輪舞~Revolution」は、90年代アニソンの代表の一つといっても過言ではないだろう。間奏もかっこよくラストの転調のカタルシスが半端ないので、ぜひフルで聴いてほしい名曲である。


見所⑤謎を呼ぶストーリー

ウテナは全39話だが、先の読めないストーリーで一度観始めると止まらなくなってしまう作品でもある。

長編ものの宿命として繰り返しの展開もあるにはあるが、それぞれ飽きないように変化させ魅せてくれる。


王子様の正体とは。

決闘の目的とは。

薔薇の花嫁とは何者なのか。

そして世界を革命するとはどういくことなのか。

回をおうごとに解き明かされ、また深まっていく謎。


その難解さから現在でもファンにより多くの考察が展開されているウテナであるが、作品随所に散りばめられた幾つものメタファーや登場人物たちの描写の端々から物語を読み解いていくことができる。

39話に渡り蜘蛛の糸のように張り巡らせたファクター、積み重ねられたウテナとアンシーの関係やあらゆる感情を一気に解放する最終回は大変見事であり、ある種爽やかな視聴後感をもたらしている。


●現実を革命するウテナ

90年代のセル画アニメの成熟期に燦然と現れたウテナは、個性的などという言葉では言い表せない、まさに総合芸術として完成された怪作である。

また、おとぎ話から綿々と受け継がれた騎士と助けられる姫というロマンスの構図をそのまま利用しながら、王子役に少女を据えることによりその矛盾を意識的に暴いており、それを新たな現代の説話たるために再構築を施している。これをディズニーが「アナと雪の女王」を発表する15年以上前に夕方6時台のアニメで放映したというのは驚きしかない。

美少女戦士セーラームーン」でロマンスにおける男女の役割の逆転という革命をアニメで魅せた監督が、セーラームーンですら抜け出せなかったロマンスの孕む矛盾、つまり助けるものと助けられるものという超えられない立場の格差をついに打ち砕いたのが、この「少女革命ウテナ」であったのだ。

少年漫画における世界を守る少年英雄像を破壊した「新世紀エヴァンゲリオン」と同時期に、少女漫画における王子に助けられ幸せになるお姫様像を破壊したウテナは、まさに物語の外の世界でも革命を起こしていたのである。


2017年に20周年を迎えた少女革命ウテナ。作風から好き嫌いがはっきりと分かれる作品なのであまり強くはオススメできない(ここまで書いていまさらだわね)が、合う人には本当に麻薬のようにキマるので試してみる価値は大ありである。

ちなみに巷では百合作品(いわゆる女性の同性愛もの)ということで名前が上がることがあるが、この作品においてそれは耽美演出の一環であると断りを入れておく。主人公ウテナヘテロであるし、作中にはレズビアンの女性も出てくるには出てくるがあくまでシリアスであり、ピュアできゃっきゃウフフした百合描写は皆無なので、そういうものを目的に観ようとする方にはあまりオススメはできない。

逆に、どろどろした少女漫画的な心理描写やキラキラな絵柄や耽美表現に耐性がある人や哲学的な小難しいものが好きな人であれば楽しめる可能性大なので、是非全話視聴してほしい。

 

ウテナ好きさんにお勧め作品

ベルサイユのばら池田理代子

もはや説明不要だろう!これもやはり革命している。歴史モノとしても素晴らしい!オスカル様!麗しい!

帝一の國」古谷兎丸

耽美な世界観とシュールギャグのバランスが素晴らしい学園政治闘争コメディ。

ルナティック雑技団岡田あーみん

可憐な絵柄で繰り広げられるシュールギャグの境地。変態執事の黒川が良キャラ、ゆり子はもはや狂キャラ。

 

 

絶対!運命!黙示録!

 

 

少女革命ウテナ 絶対進化革命前夜

少女革命ウテナ 絶対進化革命前夜

 

 

 





 

 

 

 

 

【漫画感想】『不滅のあなたへ』壮大なモラトリアムの物語

不死身の存在フシと、彼が遭遇する人々の生と死。生と死を通してフシは少しづつ生きることを学んでいく。
これは生きるとは何か、人間とは何かを描いた叙事詩

 

第1章 孤独な少年との邂逅
フシ(この時点で名前はないが便宜上この名で呼ぶ)の誕生から雪に閉ざされた世界で、たったひとり生きる少年とその飼い狼の姿を写し取ったフシとの出会いを描く。少年は食料を求めて旅立っていった仲間の帰りをたった1人で何年も待っている。おそらく食力不足による集団移住があり、少年を含む弱者は捨てていくという判断がなされたのだろうか、ひとりきりになった少年には他に縋るものはなく、仲間が帰ると自分に言い聞かせて生きている。飼い狼のジョアン(の姿をとったフシ)が帰ってきたことで彼はとうとう仲間を追い旅立つ決心をする。彼とフシは雪の中を意気揚々と進むが、やがてその先で少年は仲間が滅びた痕跡らしきものを発見する。それまで悲惨な境遇にも関わらず全てを(おそらく意識的に)ポジティブに捉え、そんな孤独のなか気丈に明るく自分を励ましてきた少年の心がこの場面でとうとう折れてしまう。
この瞬間からが1番見ていて辛い。
彼は初めて弱音を吐き、家に帰りたい(この旅立ちと帰巣というのもテーマの1つなのではないかと予想している)と告げる。
そうして心も体もボロボロになり家にたどり着いた少年だが、旅で負った足の傷が膿み腐り、あるいはそれが原因で感染症にかかったのか、死の床につく。自らの最後を悟った少年は、ジョアンとなったフシに自分の存在を覚えていてほしいと伝え、椅子に座り仲間を待つように息絶えるのである。
少年の最後の矜持が辛くもあり美しくもある。

この物語の救いは死後の描写があることで、少年の魂がなかまやジョアンに逢えたことを示してくれている点である。
この魂の邂逅で少年が名乗るシーンがあるが、そのセリフは意図的に消されたと思われる。
それはなぜか。
フシにとって少年は、一個人ではなく、人間という概念の全てである。この名を伏せる描写はそういった意味を持っているのかもしれない。
少年の姿を写し取って歩き出すソレとそれを見送る、まるで疲れて休んでいるかのように椅子に座る、息をひきとった少年の亡骸。
フシが人間として生まれた瞬間であり、少年が不滅の存在となった象徴的なシーンである。

第2章 母なる存在・マーチ
ニナンナの生贄の少女マーチと出会ったフシ。前章が誕生のシーンだとしたら、今章に描かれているのは母である。可愛らしい少女マーチの夢はママになること、生贄にされた彼女だが得体が知れないフシ(まだ名はない)に不死身だからという理由でフシと名付け、山の主と言われ恐れられ、人間に酷い目にあわされていた怪物熊オニグマを慈しむ。彼女の最後は友人のパロメを庇って矢に射抜かれるというものである。自分を犠牲にしてなにかを守ること、これも母を象徴している。
マーチの魂に寄り添うオニグマの魂、大人になったマーチの幻想(2巻表紙の姿)、ここも個人的に実に胸に詰まるシーンの連続である。
この章は母との出会いに始まり、別離で終わる。ニナンナを離れたフシは老婆ピオランにより文字と言語を教えられる。つまり社会性を身につけ始めるのである。

第3章 家族と自我の芽生え
続く第3章では、家族と友情を通して、フシが人間性、社会性を獲得していく過程が描かれる。彼を成長させたのがグーグーという少年である。
グーグーは転がる丸太から少女を守って大怪我を負い、酒爺という老人に命は救われるものの丸太に潰され、二目と見れない顔になってしまった。彼はその顔を隠すため仮面を被っており自らを怪物と自嘲する。
グーグーはそんな辛い逆境や己の容姿に悩みながらも、けして折れることなくまっすぐ生きている。自分の好きなリーンに好かれるフシに嫉妬し、フシに兄貴風を吹かせたりするごく普通の男の子である。そんなグーグー、リーン、ピオランと恋人(!?)の酒爺という疑似家族との交流はフシを精神的に成長させていく。
ろくに話せなかったフシは彼らと過ごす四年のうちに、言葉も精神も外見もまるで人間の少年のようになっていく。
しかしフシを狙うノッカー(敵)に急襲され、フシとリーンを助けようとしたグーグー(彼もまたフシたちとの交流により心身ともに立派な若者に成長した)が命を落としてしまう。
ここまでにグーグーの苦悩やがんばりを共に体験してきただけに、読んでいて辛いものがある。(グーグーとリーンの関係の描き方も王道だが、とても良いのである)
フシはその成長に多大な影響を与えた最愛の兄・グーグーを失ったことで精神的なターニングポイントを迎える。

この物語は各章ごとにフシに影響を与える主人公を置く構成のようだが、彼らに共通するのは、人間のポジティブさ、もっと言えば逆境に負けない強い意志を持っているというところである。村にたった一人きりで残された生き残りの少年、生贄の少女マーチ、兄に捨てられ、不幸な事故がもとで怪物にされたグーグー、誰もが悲惨な状況にも負けず、腐らずにしっかり前を向いて生きている。
彼らに影響され人間性を獲得していくフシを通して見えるのは、生きる歓び、明日を生きようとする意志の尊さ、それらを肯定する人間賛歌である。

 

☆今後の展開の予想☆
フシの成長に重点を置くのであれば、誕生日→母→家族を得た次にたどり着くのは、自立・友情・恋愛・そして立志だろうか、あるいはアイデンティティの確立がそのゴールであるのかもしれない。物語全体を通してフシが自分を獲得する物語と読むことができそうなので、これからは長く暗い悩み・モラトリアムの時期に突入するのかもしれない。
万が一恋愛が描かれるのだとしたら相手は可愛い良い子がいいなあ。トナリちゃんは、なんか、違う笑
普段は少年姿だけど、実際は性別のないフシなのでなんとも言えないけど。

あるいはグーグーの死によって人間らしく成長したフシは、やっと主人公になる条件を満たしたともいえるので、今までの傍観者的な立ち位置から一転、周りに影響を与える存在に変わっていくのかもしれない(グーグー編まででも少しづつその兆候はあった)。
グーグー編でフシがモノローグデビューをしたし、これからは悩み放題笑
しかし恋愛についてもそうだけれど、フシにはあくまで、それこそ火の鳥のように人外の存在として人間の存在を観察してほしいとも思う。

 

☆今の所気になること☆
・古代の伝説の民族(イナンナのドキ人とタクナハの伝説の民族。2つの国の古代の伝説の民族は同じと思われる)
・悲しくても涙を流さ(せ?)ないフシ
・フシをつくった人は神様?やがて消える→神の世代交代?たしかにフシはなんでも生み出すことができるよね、ただ創造ではなく複製だけど。
・フシに影響を与えた人間で少年の幽霊だけが同行していない。
・少年以外はフシの不在に気づくことで夢から醒めている
・ピオラン無事でいてくれい。この老婆が予想以上に関わっているので、ストーリーを通して記録者になるのではと予想。文字の解読がかったるいので、ピオランのメモは読み取れていない。各自頑張れ。

 

 

 

 

 

【漫画感想】『ミスミソウ』世にも凄惨な復讐譚

胸糞サスペンス復讐譚。

ミスミソウを宣伝する際わたしならこういうコピーをつけるだろう。
この本は良心を横に置いてから読むことをお勧めする。
グロ耐性のない方、心が大変清らかで優しい方も見ないほうがいいだろう。

 

おおまかなあらすじをいうと、薄幸の美少女が自分の家族を皆殺しにした同級生たちに凄惨な復讐をする話。
同じ残酷皆殺し描写でも下手な人が描くと大変軽い白けたものになってしまうが、ミスミソウがこれほど重量があるのは、登場人物たちそれぞれの情念を丹念に描いているからだろう。
美しい少女、凄惨な復讐、歪んだ愛、白い雪、赤い血、ミスミソウ
数々のファクターを通して見れば一種の様式的な美しさがある。
語弊を恐れずいえば、そもそも日本人はもともとこういった凄惨な復讐譚が好物である。江戸の古典怪談の多くがこういった復讐譚や因果ものであることからも伺える。なかにはなぜそこまでという凄惨な描写も多くある。
この物語を古典怪談的な側面から見ることで、ただの後味の悪い復讐譚以外から読み解くことができるかもしれない。
では当時の人々はなぜわざわざ胸糞悪くなるような凄惨な復讐譚を好んだのか。もちろん悪い奴やっつけてスッキリ!という感覚を味わいたいわけではない。清いもの、美しいものが罪に堕ちていく、破滅に向かっていくという悲劇に対し、ある種の美しさを見たからではないだろうか。よく欧米人は永遠に美を見出し、日本人は儚さに美を見出すと言われているが、惜しむらく失われていくものに対して、儚さを感じたとしても不思議はない。
作者の押切蓮介さんは怪談もの、怪奇もの、妖怪ものなどを手がけることが多い。古典怪談的な情念渦巻く復讐譚と江戸末期に流行した無惨絵(言葉のまま、胸糞悪くなるような無惨な絵)を組み合わせたようなこの物語は、意図されていたのならなかなかに実験的な意欲作である。
ついでに言っておけば、ミスミソウやゆうやみ特攻隊など凄惨な作品も多いのでつい人の痛みの分からない悪趣味な人なのかと思いがちだが、氏の他の作品からは自然や動物、失われていく古いものへの優しい眼差しや、共同体から外れてしまったアウトサイダーへの共感などが見て取れる。実はこの作者は痛みを必要以上に感じ取れる繊細さを持った人なのではないだろうかとすら思えるほどである。
この、氏の持つアウトサイダーへの共感が、この作品に出てくる春香をいじめる流美をはじめとする胸糞なクラスメートたちに対しても描かれていることで、読者は、善性を捨てきれず罪悪感を持ちながらも復讐心をどうにもできなかった春香を憐れみながらも、ただ完全な悪意だけでない、更生と同情の余地がある(クズなことに変わりはないが)クラスメートたちを憎みきることができないというジレンマに陥る。
押切氏は氏の自伝を見る限り、バブル崩壊後のロストジェネレーション世代であると思われる。冷戦終結湾岸戦争就職氷河期を通して善悪で割り切れない時代に培われたであろうシビアな視点を、古典怪談の無惨の様式に組み込んだこの物語の容赦ない展開が、なんともいえない後味の悪さと無情感を演出している。
全てが雪にさらわれたのち、野に咲く小さなミスミソウが描かれた寂寥感溢れるラストシーンは、この救われない物語の帰結としてこの上ない美しい場面である。
ただ、1つ言いたい。
結果、じいさんが一番かわいそう。


最後、おまけに私的オススメ押切作品を紹介しておく。以下の押切作品の詳細ついてはいつか改めて記事にしたい。

『でろでろ』
妹萌え不良の耳雄とクールな妹の留渦が妖怪や幽霊の起こす事件に巻き込まれるホラーギャグ。幽霊とかを拳で黙らせる耳雄の良キャラさよ。
サイトーさんとカントクがかわいい。

ハイスコアガール
90年代ノスタルジーとゲーム愛に溢れた青春漫画。なんやかんや紆余曲折の末、絶賛連載中。アニメにもなるよ!

『ピコピコ少年シリーズ』
押切氏の変わった、もとい冴えない、もとい愉快な実体験を独特な視点で語っているエッセイ漫画。
こちらも90年代ノスタルジーとゲーム愛に溢れている。大変面白い。

 

 癖がある作風なので読む人を選ぶが、興味ある人はこれらから観てみてはどうだろう。

 

 

ミスミソウ 完全版(上) (アクションコミックス)

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【ドラマ感想】『新選組血風録(1998年)』

新選組

幕末。浅葱のだんだら羽織を靡かせ、不逞浪士を斬り京の町を震撼させた壬生の狼。

 歴史ファンでなくとも名前くらいは知っているであろう。

どういうわけか新選組には熱烈なファンが多い。もちろんわたしもその一人である。そう言ったファンには、絶対に今風に言うには「沼」に引きずり込むきっかけとなった罪深い作品がひとつあるものである。

わたしの場合、それが小学校の頃にテレビで見た新選組血風録であった。

もともと時代劇をよく見る家庭であったことや漫画「るろうに剣心」おかげでその土壌は整っていたので、堕ちるのは一瞬、まさに瞬殺だった。

 

新撰組血風録』は司馬遼太郎原作の短編連作で、同作者の同じく新選組を題材とした『燃えよ剣』と合わせて、現代の新選組のイメージに多大過ぎる影響を与えた傑作である。

日本映画でも新選組は人気だが、中でも血風録に関しては何度もテレビドラマ化されている。

わたしがハマったのは、朝日テレビ開局40周年として特別製作された1998年版の新選組である。この1988年ドラマ版版について原作、また同年代の新選組ものを絡めて書いていく。

 

ドラマの主演は近藤勇に渡哲也。そこに土方歳三役の村上弘明を始め重量感ある俳優陣が布陣し、沖田総司中村俊介若手俳優や深雪太夫天海祐希ら美しい女優たちが男臭い重苦しい画面に華やぎを与えている本作。スペシャルもやっていたので人気だと思っていたが、DVDも出ていないところを見るとそうでもなかったのか。はたまた東映の事情か。
背景は撮影所だとすぐわかるようなチープさがあったが、俳優陣の堂に入った演技のおかげでドラマには厚みがあったしさしたる問題ではない。

 

のちになって近藤と土方の年齢が行き過ぎだと知ったが、近藤はともかく土方の村上弘明に関しては、これ以上は考えられない最高の配役だったと思う。

京の町人らの使う京言葉のせいで余計か際立つ「近藤さんよぅ、おれぁね」「おめぇがなんとかしろぃ」と江戸というか武州の訛りの泥臭さ、司馬遼太郎の描く喧嘩師らしいさっぱりした潔さの妙もあり、男らしい色気があった。本作の土方は血風録というより燃えよ剣の土方像に近いように感じる。

余談だが、本作放映のしばらくのちガンガンで連載された『PEACEMAKER』という新選組漫画の土方像はこの村上弘明がモデルじゃないかと勝手に思っている。

渡哲也の近藤に関しては愚直だが清廉潔白な傑物として描かれている。原作の俗物感が薄れているところが俳優ありきなのかと今となっては気になるが、演技派の俳優陣が織り成す群像劇を締めるには、これくらいの重みのある人物の方が相応しかったのであろう。

 

さて、新選組を描くにあたり最も配役に苦労するのはおそらく沖田総司である。

夭折の美剣士。司馬遼太郎の作り上げたこの沖田像はどれほど罪深いことか。

実物の沖田は、背が高く肌が浅黒いヒラメ顔の人物だったというが、やはり司馬氏の作品に描かれたように、冗談が好きで子供と遊ぶ明るい人物だったとも伝えられている。とにもかくにも好人物だっただろうこの若者が、血なまぐさい戦場を駆け抜けてまだ若い命を燃やし尽くしたというそれだけで、日本人の琴線に触れるというものである。

 

そんなわけで決して外さない本作の沖田役は、当時若手俳優であった中村俊介であった。セリフに関してはまだ上手いとは言いがたいが、それをカバーしてありあまるその明るく清廉な雰囲気は一服の清涼剤のようで、まさに司馬遼太郎の描く沖田総司そのものである。それに最終話の別れのシーンでの表情の演技には贔屓目なしにグッと切なくさせられた。

ちなみに熟練者によくある感情のこもったセリフよりも、若干棒のアクのない平坦ぎみなセリフの方が『燃えよ剣』で土方の兄のセリフにある「俺は総司の声を聞くともの哀しくなるんだ」という表現にぴったりだと思ったが、これはまあ、贔屓の欲目だろう。

どちらにしてもこの中村俊介版の沖田総司のせいで、圧倒的に沖田ファンになってしまったのは事実である。

もう、あれだね。かっこ良いよネ☆

 

近藤土方沖田のキャラクター付けを始め、本作は連続ドラマとなっているので原作の話を合体補足、削ぎ落としをして10話にまとめている。

例えば本作の沖田は原作以上に「やだなぁ」とか「わたしはそういうの嫌いだなぁ」なんて子供っぽいセリフを言う。普段の子供っぽさを強調するからこそ、9話で仲の良かった脱走隊士を斬ったときの「この人には良くしてもらいました」という淡々としたセリフの狂気が際立ち、視聴者を居合わせた篠原泰之進と同じように驚愕させたのである。

ちなみに原作小説でこういった沖田の怖い側面が垣間見れるのが「前髪の惣三郎」のラストシーンであるが、そのシーンの土方沖田の役割はドラマでは近藤が引き受けており、聖人のようなドラマ版近藤の内面に唯一、少しの泥をつけさせるという面白い作りになっている。

 

序盤では池田屋芹沢鴨(なんと松山千春が演じている!)暗殺など、近藤土方側をまさに治安を守る正義の味方然として時代劇の主役らしく描いていく。しかし徐々に主役になる人物の視点をずらしていき、過激な局中法度や反乱分子の粛清、もみ消し、罠など負の側面を描いていく。前述のドラマ9話「油小路」では実質の主役が船越英一郎演じる伊藤甲子太郎派の篠原泰之進となり、近藤土方沖田はまるで狂気の集団に映る。伊藤派閥の間者を罠にはめ集団で囲み槍で突き刺すなんてなかなか主役側のやることではない。

ドラマ7話「長州の間者」では、斬られた間者の妻が沖田や永倉原田に憎しみを込めて「なぜ殺したのか」と問うシーンがある。沖田はバツが悪そうに「隊規を破ったから」「間者だから」と答えるが、妻は都度「それは殺すほどのことなのか」と返す。制作側はあえて主役であるはずの新選組の異常性を視聴者に示しており、物語はよりフェアな視点で描かれていたように思う。

最終的に史実の通り、大政奉還により新選組ら幕軍と薩長の立場が逆転し、新選組も追われる立場となる。史実と『燃えよ剣』を絡めて新選組敗走後の末路を、足早に伝えドラマは終わりを迎えた。

 

エンディングの松山千春の名曲「さよなら」は過去を懐かしみ決別する歌であるが、新選組の末路と重ねるとなんとも言い難い切ない心待ちにさせられる。

エンディングもそうだが劇伴もなかなか印象深く、歴代時代劇風でありながらかっこいい曲が多いのでぜひ視聴する際は気に留めてほしい。

 

以下各話の簡単な個人的感想である。

1話「幕末最大の決闘!池田屋斬り込み」

ザ・東映祇園祭りの宵山や深雪太夫の艶やかさと池田屋での凄惨な斬り合いのコントラストが良い。原作の同名話に燃えよ剣や別エピソードで描かれた斬り合い部分を付け加えている。沖田喀血もちゃんとやる。モアベター

 

2話「芹沢鴨 雨の襲撃」

松山千春の貴重な演技回。絶妙な狂気を持った芹沢のヴィラン感がとてもかっこいい。ちなみに芹沢役の松山はエンディングも担当しており、そう考えるとなんとなくシュールなエンディングである。

 

3話「沖田総司 剣と恋」

前半原作通り。初々しくて見ていると恥ずかしくなってくる。

原作では沖田の想いを知った近藤土方が余計な気を回して(文中で司馬遼太郎自身が余計なお節介と思うかもしれんが言っている)ご破算にしてしまうという沖田がまったく救われない遣るせない話だが、ドラマには後日談が付け加えられ、新選組の斬り合いに大文字見物に来ていた娘と父親が遭遇するという話になっている。原作でも沖田の気持ちを察して娘の方も赤くなったことから好意とまではいかないまでも憎からず思っていた描写があるが前述の終わり方のせいで宙ぶらりんになっていた。ドラマのこの場面で娘は沖田の正体を知りショックを受け、沖田はまた自分の気持ちに整理をつけ斬り合いに戻るという、ビターながらちゃんと落とし所がつけられた良補完となっている。

 

4話「脱隊 胡沙笛を吹く武士」

一隊士視点で新選組を描く。張り込みの時の緊張感の描きかたが素晴らしい。

切ない。

 

5話「妖艶 前髪の惣三郎」

昨今はやりのBL。男たちの複雑な恋模様。これをテレビでやるとはね。

とにかく黒田勇樹演じる加納惣三郎の色気がすごい。また前述のように原作の土方沖田の役目が近藤になっており、その点は意欲的な改変だった。

土方に無理難題を押し付けられる中間管理職な山崎烝大杉漣)がとても良キャラ。余談だが「御法度」は私のトラウマ映画である。

 

6話「土方謀殺計画 山南の脱走」

伊東一派の登場と山南脱走。

ここらへんから近藤土方一派の正義(視聴者目線)が明らかに揺らいで描かれていく。

原作の混ぜ具合も上手い。

山南と土方の対立に伊東一派の思惑がからむ。穏健派の山南を失い、この後物語は正義なき複雑な争いに変わっていく。

三浦洋一演じるの山南敬助が、大津の山中で沖田を呼び止めたときのあの笑顔が印象的である。ああ、山南さん……。

 

7話「潜入長州の間者」

永倉原田がとても明るい好人物と描かれるが、一方彼らは近藤らと同じく人斬りを平気で行う人物である。

今回は女たちがより我々に近い目線で、彼らの異常性に一石を投じる。

女が待つことしかできないものという見方は男の願望である。彼女たちは天下や沽券に振り回される男たちを支え愛するも、安寧な生活を守るときには気丈に反抗する。彼女たちはまっすぐ地に足のついた明日を見ており、リアリストだ。

 

8話「近藤勇を狙った女」

このドラマの気になるところは、やっぱり近藤の人物像である。

簡単に言えば、かっこよすぎの一辺倒で魅力がない。個人の見方だけどね。

 

9話「内部分裂 油小路の決闘」

陽気で小気味の良い男・篠原泰之進を主役に据える。映し出される新選組の狂気。

 

10話「近藤・土方・沖田 最後の別れ」

原作の「菊一文字」をベースに新選組の末路を描く。病み衰える沖田、敗走軍の中でなお毅然と立つ土方、次々と減っていく仲間。

原作では菊一文字の象徴性はこのエピソードの主人公である沖田を表していたが、ドラマでは拡大解釈され、沖田、近藤、土方それぞれの正義や生き様を表すに至っていた。ああ、切ない。

 

最後に なぜ日本人は新選組が好きなのだろうかを考えてみた。

立身出世ものはいつどの時代、場所においても人気である。戦国の武将で豊臣秀吉が人気があるというのも、この立身出世ものを地でいくタイプだったからである。

また、「もののあわれ」という言葉にある通り、日本人は滅びゆくものや儚いものへの憐憫の情も深い。盛者必衰から始まる平家物語、つわものどもが夢の跡という芭蕉の句、そして判官贔屓のもとにもなった源義経。英雄たちの活躍もさることながら、その悲劇的な最後に心を奪われるのである。

田舎の浪人や農民だった若者たちが、志のもと非情の剣を振るい続け京都の治安を守り、大名首にまで上り詰めるも、時代の流れに飲み込まれ、信じたものに裏切られ、やがては敗者となり落ち延び、滅ぶ。

新選組の物語には日本人の琴線に触れる要素が非常に多い。

天才と謳われながらも若くして病に倒れた沖田総司、仲間を次々失ってなお、北へ敗走を続けやがては幕臣新選組最後のひとりとして北海道で討ち死にした土方歳三。彼らに象徴されるように、若い命を幕末の動乱に捧げ滅んでいった新選組は、これからも日本人に愛され続けていくことだろう。

 

ちなみにこの1998年版新選組血風録は残念ながらソフト化していない。

Blu-ray BOX出してくれたら絶対買うのに。